「終わりじゃない」 鈴木エイトさんが語る旧統一教会への解散命令
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する文部科学省の請求を受け、東京地裁が教団への解散命令を決定した。しかし、教団を20年以上追いかけてきたジャーナリストの鈴木エイトさんは「これで終わりではない」と話す。
――決定をどう受け止めているか
宗教法人法に基づき「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」と判断したということは、当然だなと思う。
教団は不服として即時抗告を東京高裁にするとみられる。解散命令の是非は、最高裁まで争えるが、本丸は高裁の審理だと思っている。内容も複雑なので時間がかかるだろう。
世間が「これで問題が解決して一件落着」と受け止めてしまうことを危惧している。
文科省側の依頼で陳述書 「不法行為を裏付ける内部資料」も提供
――文科省は2023年10月、地裁に解散命令を請求した。教団が遅くとも1980年ごろ以降、教団の利得のために多くの人の不安をあおり、多額の献金をさせて損害を与え、平穏な生活を害したなどと主張した
私は、この請求前、文科省側の依頼で陳述書を書き、教団による組織的な不法行為を裏付ける内部資料で渡せるものを文科省側に提出した。
文科省は、被害者約1550人、計約204億円にのぼる民法上の不法行為があったと訴えた。ただ、民事訴訟で争われたものだけなので、実態はもっと多いと思う。
――教団は、宗教活動の一環だとし、2009年に「コンプライアンス宣言」をして以降、教団に対する献金をめぐる被害の訴えは大幅に減ったと主張してきた
宣言は、教団信者が社長だった会社による事件がきっかけだった。不安をあおる手法で印鑑などを販売していた。
コンプライアンス宣言は、末端の信者に責任を押し付けようとしたもので、決して真摯(しんし)に反省をしたものではないと思う。また、いわゆる「霊感商法」ができなくなったため、その分の集金が、信者から行われるようになったとみられる。
「信仰の自由自体は侵害されていない」
――宗教法人は公益のために活動する法人とされ、解散命令によって法人格を失うと、税優遇が受けられなくなり、法人名での不動産登記もできなくなる。解散命令は教団にとってどんな影響があるか
集会や礼拝の場所が法人として持てないので、物理的な活動はしにくくなる。不便になることは否めないが、信仰の自由自体は侵害されていない。
我々も、財産被害や人権侵害への非難はするべきだが、教団の教義自体は非難すべきではないとも思う。
――宗教法人ではなくなることで、財産目録などの書類を所轄庁に提出する義務が課されなくなり、監視が届きにくくなるという指摘もある。どうみるか
そもそも、これまで正直に申告していたとは限らない。書類をもとにこれまできちんと監視されてきたわけでもない。
税優遇がなくなると、税金を広く支払う必要が出てくるので、税務当局には活動実態が把握されるのではないか。監視が届きにくくなる懸念があるから宗教法人格を与えておくべきだ、というのは本末転倒だ。
――解散しても、宗教団体としては存続でき、信仰や布教などの宗教活動を続けることは可能だ。信者はどうなるのか
どんな影響が出るのかが気になる。脱会者が一気に増えるか、逆により結束が強まるのか。国による迫害、宗教差別を受けているという認識になると外への攻撃性が先鋭化する。
SNS上では今、複数の発信者によって「解散命令請求の根拠になった陳述書には捏造(ねつぞう)がある」など教団側の主張が拡散されている。
■解散後に教団に残った財産 …
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- 【視点】
統一教会問題は「忘却」によって事態が悪化しました。30年以上前に大きく問題化され、さらにオウム真理教事件があったにもかかわらず、あるいはそれゆえに忘れられてしまったという点は非常に重要です。社会的記憶の風化が問題の継続を許してしまったと言えるでしょう。 このような状況の中で、鈴木エイトさんは統一教会に注目し続けてきた稀有な存在です。彼の継続的な取材活動がなければ、さらに問題が見過ごされていた可能性があります。 興味深いことに、旧ジャニーズ問題は統一協会問題が再燃した翌年に表面化しました。この問題においては、ジャニーズ事務所もまた「知られていたが忘れられていた」という共通点を持っています。長年にわたる未成年者への性加害行為は、カルト的な閉鎖性と権力構造の中で継続していました。 両問題の共通点は、社会的に重大な問題でありながら、「知られていたのに忘れられていた」という点です。これはメディアを含む社会全体に反省が必要であり、継続的な監視と報道が必要です。 今回の統一教会に対する解散命令は当然の結果ですが、高裁での判断もあり、今後の展開はまだ予断を許しません。 重要なのは、この問題を忘却せずに追い続けることです。統一教会という組織がなくなっても宗教自体はなくなりませんし、宗教という形態をとらないカルト集団も実際に生まれています。現在は陰謀論者の勢力拡大も見られ、SNSの浸透によってカルト的思考は以前よりも拡大・浸潤しやすい環境が整っています。 社会の「忘却」に抗い、継続的な監視と問題提起を続けることが、こうした問題へのもっとも効果的な対応策と言えるでしょう。
…続きを読む - 【視点】
解散命令は当然だと思うし、鈴木エイトさんの見解に私も同感である。 ただ、それに加えて言うと、「教団の教義自体は非難すべきではないとも思う」ということだが、私は教義自体も非難する。 (宗教という体裁を取っているからといって、その教義について
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