「1%のリスク」と「99%のいい出会い」 旅で考えた警戒心と分断
ライター・近藤雄生さん寄稿
1月にトランプ氏が米大統領に就任して以来、世界の「分断」は新たな局面に入ったように感じられる。差別的発言も他国への脅しもやりたい放題の米大統領の再登場で、各種差別やヘイトスピーチを容認する風潮が生まれ、分断や敵対は今後様々なレベルで強まりそうで気にかかる。すでにいま、世界を見ても国内を見ても、誰もが他者に対して警戒心を高めやすい状況があるのに、今後その傾向にさらに拍車がかかるとすれば――。
そんなことを考えるときによく思い出すのが、かつて長い旅をしていたころの経験である。
20年以上前にさかのぼるが、私は、大学院を修了した翌年の2003年、妻と2人で旅に出た。ともに20代後半の時で、それぞれ貯金を切り崩しつつ、数年間、海外各地で移動と定住を繰り返そうという計画だった。私は旅をしながら文章を書き、ライターとして自立できるようになりたいという思いがあり、妻は純粋に長い旅がしたかった。旅に出ようという発想の発端に私の吃音(きつおん)の問題があったのは以前の寄稿に書いた通りだ。
SNSを通じて世界中を民泊
オーストラリアから始まったその旅は、東南アジア縦断、中国定住、ユーラシア大陸横断、ヨーロッパ、アフリカ、と進んでいったが、私はライター業で、妻は上海で一時期働き、ともにそれなりに収入が得られたこともあって、資金は尽きず、全行程は5年を超える長さとなった。
その旅のなか、ユーラシア大陸の横断を始めたのは、日本を出て4年以上が経った2007年8月のことだった。まずは中国の北京から北上し、モンゴルを経てロシアへ。極東ロシアから再び中国へと国境を越え、中国を東から西へ横断し、中央アジアのキルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンと進み、イランへ入った。そしてイランからアルメニア、グルジア(現・ジョージア)を経て、トルコへと国境を越え、ギリシャ、イタリア……、と旅を進めていったのだが、その道のりにおいて私たちは、人に家に泊めてもらう機会を何度も得た。そのたびに私たちは、人々の寛容さと親切さに心を打たれる経験をした。
イランでは、レストランや電車などでたまたま近くにいた人に声をかけられ、話しているうちに「よかったらうちに泊まっていきなよ!」と言われることが何度もあった。実際に3度泊めてもらい、いつもすごく歓待された。たとえばある男性は、家族と暮らす家に泊めてくれた上に、次の町へ行くバス代まで「おれが払うからお前らは何も出すな」とチケットを買って見送ってくれた。
中国からキルギスへと国境を越えたところでは、交通手段がなくて困っていたところを、元格闘家だという男性が自身の車に乗せてくれた。ものすごい悪路を10時間ほど走ったのちに彼の住む町に着くと、妻と娘が待つ家で一日ゆっくりと休ませてくれ、さらに翌日の出発の際には、「キルギスでは新たなSIMカードが要るだろう」とわざわざ新しいのを買ってくれるということまでしてくれたのだ。
全くの見ず知らずの自分たちを、ほとんど警戒することなく温かく迎え入れてくれる人が数多くいることに、私は、驚き感謝するとともに、うれしく思った。そしてそのような人たちの中でも、いまもよく思い出すのが、トルコのイスタンブールで泊めてもらうことになった男性である。
彼とは、「カウチサーフィン」というSNSを通じて知り合った。カウチサーフィンは、登録者同士が互いに無料で家に泊め合うことを目的として2004年に開設され、主に旅行者の間で人気を得て、いまでは、世界20万を超える都市・地域に1400万人の登録者がいるという。
セルジャンの言葉
その登録者の一人であったイスタンブールの男性・セルジャンは、広告会社に勤める当時30代くらいのとても気さくな人物だった。彼は、外国人の旅行者と交流するのがとにかく好きなようで、私たちが泊めてもらった数日の間も、毎日複数人の旅行者が入れ替わり泊まっていた。そして彼は、どんな人に対しても警戒する様子がなく、高価なものもそのまま見えるところに置いていた。そのすさまじくオープンな様子に私は驚き、ある時思わず彼に尋ねた。大事なものがなくなったり、危険だったりすることはないのかと。すると彼はおおむねこんなことを言ったのだ。
「多少モノがなくなることは…