非常戒厳の夜、私は国会の中にいた 韓国の民主主義はどこへ向かうか

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ソウル=太田成美

 昨年の12月3日午後10時29分、知人の韓国メディアの記者からスマートフォンにメッセージが届いた。その内容に私は目を疑った。

 「尹大統領が非常戒厳を宣布しました」

 メッセージは、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領がたった今、非常戒厳を出したことを私に知らせるものだった。本当だとすれば、民主化後の韓国では初めてのことだ。

 私は平穏な一日を終えて自宅に戻ったところだった。そんな国家の非常事態が起きているとは、とても思えない。本当に戒厳? 一体なぜ?

キャスターが慌てた表情で

 非常戒厳――。この言葉を見て、まず思い起こしたのは、240人以上の死者・行方不明者を出したとされる1980年の「光州事件」のことだ。

 軍事政権時代の韓国では、たびたび非常戒厳が出されてきた歴史がある。79年に当時の朴正熙(パクチョンヒ)大統領が暗殺された直後に非常戒厳が出された際には、後に大統領となる全斗煥(チョンドゥファン)氏が「粛軍クーデター」を起こし、軍の実権を握った。非常戒厳は80年に全国に拡大。戒厳下で、民主化を訴える学生や市民を弾圧したのが光州事件だ。ただ、87年に民主化してからはずっと、非常戒厳が出されることはなかった。

 すぐにテレビをつけた。キャスターは慌てた表情で非常戒厳の規定をインターネットで検索し、読み上げていた。

 尹氏は、過半数を占める野党が閣僚らへの弾劾(だんがい)訴追を連発することなどによって国政をマヒさせていると主張。「北韓(北朝鮮)の共産勢力の脅威から自由大韓民国を守る」「従北反国家勢力を一挙に剔抉(てっけつ)する」として、非常戒厳を宣言したのだった。そこには、ネット上で飛び交う韓国の極右ユーチューバーの主張をほうふつとさせるような、攻撃的な言葉が並んでいた。

 その間も私のスマホは鳴りやまない。冒頭の記者からは「野党議員が国会に集まっている」とのメッセージが届いた。すぐに韓国の憲法の条文を調べると、戒厳を解除できる唯一の手段が、国会の在籍議員の過半数が賛成して解除要求決議案を可決することだとわかった。私は大急ぎで国会に向かった。

国会の門の前では

 午後11時18分、タクシーで国会前に到着すると、すでに警察の機動隊のバス3台が門の前を塞いでいた。盾を持った警察官がずらりと並び、入ろうとする市民ともみ合いになっていた。

 門の前まで来てみたものの、この状況では入るのは無理かと思った。と、その瞬間、警察官が私にこんなことを言った。

 「身分証を見せてください」

 警察は11時過ぎから約30…

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この記事を書いた人
太田成美
政治部|外務省担当
専門・関心分野
朝鮮半島情勢、日韓関係、ジェンダー
韓国「非常戒厳」

韓国「非常戒厳」

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