「私も、同じ人間ですよね?」 移動も制限 悩む難民申請者の子ども

有料記事

定塚遼

現場へ! ホームレス難民(4)

 「お医者さんになりたい。たくさんの人の病気を治してあげたい」。小学生の女の子は、11月に会ったとき、少し恥ずかしがりながら、将来の夢を教えてくれた。前回の記事で紹介した難民申請者イディさん(仮名)の長女だ。

 難民申請者の子どもたちが描く純粋な未来の上には、硬い天井がある。置かれた立場は、非常に不安定だ。

 今年6月、難民申請中は送還を一律に停止していた入管難民法のルールが見直され、3回目以降の申請者は、強制送還できるようになった。また、複数回申請して認められる人もいるが、最初の申請が却下された時点で、その後は在留許可を更新できず「非正規滞在」の扱いになることがほとんどだ。働くことは許されず、公的支援である保護費も原則として受給できない。

 北関東で暮らす中学3年の難民申請者ライラさん(仮名)は、8歳のときに来日。両親と兄2人と、中東から逃れた。現在も難民申請中で仮放免の状態。働けないため収入はなく、支援団体の「難民支援協会」や「反貧困ネットワーク」の支援でなんとか暮らしている。

 「ファッションデザイナーになりたいんです」と言ってライラさんは、タブレットを使って描いた洋服の絵を見せてくれる。日本に来てもうすぐ7年。思い出の多くは、日本にある。「楽しいことは?」と聞くと、「学校で友だちと話すとき」。でも、境遇が友だちと違うのはよく分かっている。「みんなができることができない。県外に出るには(入管の)許可が必要。修学旅行にも行けないし、友達と遊ぶときも、お金が必要だと行けなくなる」

「人間の命や人生、重さの違いはないですよね?」

 来日時、13歳だった兄も…

この記事は有料記事です。残り689文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

この記事を書いた人
定塚遼
文化部|企画など
専門・関心分野
音楽など文化全般。生きづらい人を減らす取り組み