斎藤真理子さんに聞く いま読むべき「暴力に抗う」文学とは

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林るみ

 暴力とトラウマを描いてきた韓国の作家ハン・ガンが今年のノーベル文学賞に選ばれた。ガザで、ウクライナで、世界で、多くの人々の命が奪われているいま、暴力を書き留めることで暴力に抗(あらが)う作家たちの文学が世界で共感をもって読まれている。日本でも現代パレスチナの文学が続々と発刊。ハン・ガンの作品をはじめ多くの韓国文学を訳し、世界の文学に詳しい翻訳家の斎藤真理子さんにいま読むべき本について聞いた。

ハン・ガンがタイトルに込めた決意

 アジア出身女性初のノーベル賞受賞作家となったハン・ガンについて、5冊の単行本の翻訳を手がけた斎藤さんは「社会の暴力の様々な形とそれに抗って生きようとする人間の意思を深々と書いてきた作家」と語る。その表現が最も深まったとみるのが、最新作「別れを告げない」(斎藤さん訳、白水社)だという。 

 無差別大虐殺があった1948年の済州島4・3事件をモチーフに、不条理な死を遂げた人々の痛みの記憶を受け止め、今を生きる力を取り戻していく2人の女性を描く。「少年が来る」(井手俊作訳、クオン)で光州事件を扱ったのに続き、韓国現代史のトラウマを描く大作だ。斎藤さんが注目するのは、「韓国では虐殺の追悼すら禁じられた時代が長く続き、社会の基底に無念の大量死の堆積(たいせき)があること」。タイトルの「別れを告げない」とは「哀悼を終わらせない」という作家の決意だ。「ハン・ガンはその悲劇を韓国一国のものではなく、人類の経験として書いている。そこが今回の受賞につながった」。

 12月3日の韓国の尹錫悦大統領による、突然の「非常戒厳」の宣布は、民主主義の力によって6時間で解除されたが、軍事政権下の弾圧の記憶を呼び起こし、改めてハン・ガンの物語を読む意味を考えさせた。

 斎藤さんは自著「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス)のなかで、韓国文学の背骨(背景ではなく、背骨そのもの)に朝鮮戦争があるとみる。「日本による植民地支配、南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁政権による人権弾圧といった暴力に支配された現代史の激痛の中で韓国文学は生まれてきた」。暴力と差別に虐げられた人々をとことん描き、検閲をくぐり抜けて読まれ、今も若者の必読書とされているのがチョ・セヒ著「こびとが打ち上げた小さなボール」(斎藤さん訳、河出文庫)だ。「70年代の都市貧民と工場労働者の熾烈(しれつ)な物語が出版から50年近く途切れることなく読まれていることに意味があります」

爆殺された作家の作品などパレスチナ文学が続々と

 イスラエルのガザへの攻撃が続くいま、斎藤さんが読んでほしいと挙げるのはガッサーン・カナファーニーの名作「ハイファに戻って/太陽の男たち」(黒田寿郎/奴田原睦明訳、西加奈子解説、河出文庫)。パレスチナ解放運動で活動、72年に36歳で爆殺された作家がイスラエル建国によるパレスチナ人のナクバ(大破局)の苦しみを描き、日本でも78年に翻訳が刊行された。2017年に文庫化され、昨年のガザ攻撃以降、版を重ね、現在8刷に。斎藤さんは「何度読んでもそのつど同じ大きさのショックを受ける。小説が書かれなくてはならない理由はそこにある」。

 21年の国際ブッカー賞候補作、パレスチナ出身の女性作家アダニーヤ・シブリーの「とるに足りない細部」(山本薫訳、河出書房新社)も挙げる。1949年のイスラエル軍によるベドウィン(アラブ系遊牧民)少女の暴行殺人と、半世紀後に真相を追うパレスチナ人女性を描く物語だ。細部の描写から入植の現実が浮かびあがる。斎藤さんは「少女の言葉は一言も記されていない。泣き声だけ。『ない』ということの圧倒的な重みがある」。

 「現在のパレスチナ文学がわ…

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