亡くなる2週間前、谷川俊太郎さんは言った 「死ぬっていうのは…」
軽やかでわかりやすい。いや、深くてむずかしい。ときに意味不明。作品によって、読むタイミングによって、表情が変化する。13日に亡くなった谷川俊太郎さんは、誰よりも詩人でありながら、誰よりも詩の枠を飛び越えてきた。
高校卒業後に詩人としてデビューした後、絵本も手がけ、漫画「ピーナッツ」や絵本「スイミー」の翻訳でも知られる。エッセーも書けば、作詞もする。朗読ライブにも出る。詩は教科書に載り、合唱曲になり、テレビCMに使われた。
ポピュラリティーのゆえんは、人が一生涯をかけてもつかむことができないテーマを、やさしい言葉で表現しつづけてきたことにあるだろう。
〈絶望していると君は言う/だが君は生きている/絶望が終点ではないと/君のいのちは知っているから〉(「絶望」から)
生きること、愛すること、幸せでいること、そして、死ぬこと。結論を示すことはしない。啓蒙(けいもう)する気は少しもない。
「天才」「巨人」と崇拝されることを、自ら拒むやんちゃな心をいつまでも持ち続けた。
2023~24年にかけてロングインタビューをした。自身の詩を朗読する動画を撮りたいとお願いすると、詩の選定で一つだけNGが出た。「『なんでもおまんこ』はダメ」。いまの時代、このタイトルでは風あたりが強いだろう。そう思っていたら、続けてこう言った。「この年になると元気に読めないから」
ユーモアと、軽やかさと、エロス。谷川さんの本質は、ここにある。
作品への執着もなかった。「だって言葉って、万人共有のものでしょう。はじめっから自分のものとして抱え込むのは諦めてるわけですよ」
最後に会ったのは、亡くなる2週間前だった。ご家族から「今日は調子がいい」と聞いたとおり、車椅子に座って穏やかに笑っていた。「年を取ると、他者への関心もこだわりもなくなっていく」と話す谷川さんに、最近興味を持っていることを尋ねた。
「死ぬことですね。もう92年生きてきたから、生きることはわかったような気がするんだけど、死ぬっていうのはどういう感じなのかな。想像してみるんだけど、困ったことに死んでみないとわからないんだよね」
「谷川さん、これからも詩を書いてくださいね」と何度か伝えたけれど、一度も「うん」とは返ってこなかった。もう書き切った、と思っていたのかもしれない。
この世のことも、言葉の世界も振り返らず、軽やかに行ってしまったのだろう。
〈ぼくもういかなきゃなんない/すぐいかなきゃなんない/どこへいくのかわからないけど〉(「さようなら」から)(田中瞳子)
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