史上初のプロ野球ストライキから20年 古田敦也さんが語る決断秘話
20年前のきょう、労働組合日本プロ野球選手会は、プロ野球70年の歴史で初めてストライキを行うことを決め、翌18、19日に決行した。球界再編騒動に揺れたこの年。一部球団オーナーの主導で「1リーグ制」への動きが起きる中、選手や関係者の雇用を守り、2リーグ12球団を維持するための苦渋の決断だった。ヤクルト捕手で選手会会長だった古田敦也氏(59)に当時の思いと、今の球界をどう見るかを聞いた。(文中の肩書は当時のもの)
――2004年6月、近鉄とオリックスの合併が報じられた。
新聞報道で知りました。近鉄の経営が危ないみたいな話はその数年前からなんとなく、うわさで聞いていましたけれど、普通は身売りですよね。合併ってどういうことって話になった。球団数が減るわけで、これは大変なことだなと思いました。
――すぐに行動を起こした。
選手会としてNPB(日本野球機構)に説明を求めましたが、すぐに応じてくれなかった記憶があります。これは経営側の話で、選手には関係ないって感じでね。1リーグで10球団だとか、8球団だとか、すぐに騒ぎになりましたよね。こちらとしてはせめて1年間くらいは合併を凍結して、買い手を探してくれと要望しました。唐突に「合併です」「決まっているから」と言われてもさすがに納得できない。ファンに説明もないし。
その後、ライブドアが近鉄の買収に手をあげたこともあって、徐々に新規参入を認めてもらう要求もしていきました。
――同社の堀江貴文社長の登場は心強かった。
買収に手をあげる動きがあることは、事前に知らなかったので驚きましたよ。メディアは堀江さんのキャラに食いつきましたよね。選手会としても「買い手があるじゃないですか、何で審査しないんですか」っていう主張もしていきました。交渉のカードができた。それに堀江さんの登場のおかげで、再編問題がワイドショーで取り上げられるようになり、なんか野球界がもめているけれど、若い、ちょっと変わった感じの新しい人が出てきたと、お茶の間の皆さんが関心を持ったというのは大きかった。今みたいにSNSが発達していれば、ファンの声は間違いなく我々にも、球団側にも直接届いていたと思うけれど、当時はファンの皆さんの声をあげてもらう方法としてはアナログ的な署名活動だった。
――阪神の野崎勝義球団社長(当時)が1リーグ制や球団削減に反対の声をあげた。
ありがたかったですね。球団幹部と交渉している時も「この中に消滅するかもしれない球団があるんですよ。何で皆さん賛成なんですか」っていう話もしていた。当時は巨人と一緒にやれば放映権でもうかるという考え方。もっと球団独自で収入を上げる策を考えるのが筋だということは言ってきたわけです。大きなうねりに球団幹部の皆さんも乗っかって、ちょっと言い方は悪いけれど、ちゃんと理解せずに賛成だけしている方もいらっしゃったと思いますよ。
――7月7日のオーナー会議では西武の堤義明オーナーが「もうひとつの合併が進んでいる」と発言した。
堤さんの発言がある前に、僕の耳にはそういう情報が入っていました。驚いたというよりは、いよいよそういう10球団、1リーグに向かって確実に動いているんだなと思いました。「1リーグ8球団を目指す」とか言っている球団の人もいましたからね。球団が減れば確実にマーケットはしぼむ。当時も、よく言っていたんですが、ディズニーランドがずっと繁栄しているのは、次々に新しいアトラクションを考えてやっているからじゃないですか。もうからないからといって縮小したら、もっと縮まりますよ、ということです。
――その翌日には巨人の渡辺恒雄オーナーの「たかが選手」発言があった。
記者のぶら下がり取材で、「球団オーナーの方々と話してみたいですか?」というような質問に、「はい」と答えただけなんですが。それがどういう伝わり方をしたのか。個人的に腹が立ったことはあんまりなかったけれど、僕よりもファンの人たちが怒りの声をあげてくれた。
――流れが変わった。
実を言うと、その瞬間にすごい追い風が吹いたという感じではなかった。難題が山積みで。ただ、我々選手会の応援団は増えたでしょう。ファンが自発的に「たかが」発言も含めて、この問題について考えようというきっかけにはなった。12球団が維持できるんだったら、そうした方がいいんじゃないかというムードも高まった。
――ストライキを意識したのはいつごろからか。
基本的には、ストライキはし…
- 【視点】
20年前当時、わたしは西武ライオンズの担当記者でした。その前は経営難の近鉄バファローズの担当もしていました。 堤オーナーらが主導して進めようとしていた10球団1リーグ制。個人的には反発を覚え、古田敦也会長の言うことに共感しながらも、「そうは
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