我々は何を学んだ 原発回帰と変わらぬ日本 国会事故調統括の憂い
東京電力福島第一原発事故で時限設置された国会事故調査委員会のメンバーが今夏、「同窓会」を開いた。日本社会に突きつけた課題が、干支(えと)が一巡してもほとんど改善していないことを憂えた集いの名は「変わらぬ日本と変わる私たち」。調査実務を統括した宇田左近さんに、問題の所在と解決の糸口を聞いた。
――2011年の原発事故を受け、政府・国会・民間・東電と、いくつもの事故調査委員会ができました。その中で国会事故調は、どんな存在でしたか。
「当事者からの独立性は、政府と東電の事故調は弱く、国会と民間の事故調は強かったといえます。一方で調査権限は、民間と東電は弱く、政府と国会の事故調は強く広範だった。つまり、独立性と調査権限を兼ね備えていたのが国会事故調でした。だからこそ、その結論は海外からも信頼され、黒川清委員長(元日本学術会議会長)は各国から引っ張りだこになりました」
「委員10人は各党推薦で、私を含め調査実務を担った約80人は全員民間からの参加でした。政治家や政府関係者による接触も制限し、独立性を担保。調査権限では、いざとなれば国会に国政調査を要請できることが効き、広く協力が得られました」
――今さらですが、国会事故調の報告について復習させてください。
「黒川委員長は医師なので、私は『この調査はCTスキャンで病巣を明らかにするようなものですね』と言っていました。省庁の審議会と違い、結論ありきではありません。調査結果に基づき、委員全員が全体に責任を持つ形で報告書をまとめました。その結果、歴代の規制当局と東電の間で、津波や地震、過酷事故などの対策を見直す機会が何度もあったにもかかわらず、してこなかったことから『人災』だったと結論づけたわけです。また、いつしか規制当局が圧倒的に情報量が多い電力事業者の言いなりになってしまっていたことを『規制の虜(とりこ)』という言葉で指摘しました」
――その後への提言もありましたね。
「提言は①規制当局に対する国会の監視②政府の危機管理体制の見直し③被災住民に対する政府の対応④電気事業者の監視⑤新しい規制組織の要件⑥原子力法規制の見直し⑦独立調査委員会の活用――の七つでした。国会事故調は、実質半年で報告をまとめることが法律で定められており、12年7月に報告書を両院議長に提出すると翌日には解散しました。以降のボールは国会にあると考えています」
見えぬ国会の動き、非公開のまま眠る資料
――その提言の実施状況を、どう見ていますか。提言⑤などに基づき、原子力規制委員会という独立性の高い規制組織は整備されてきたものの、事故や原子力のあり方について国会に検証や監視・議論を続けていくことを求めた提言は、ほとんど実現していないようにみえます。
「提言①に沿い、衆院原子力…