第15回苦しい人生が「対話」で一変 不登校だった精神科医が伝える経験

#withyou

聞き手・上野創

 精神科医の森川すいめいさん(50)は、被災者や困窮者の支援を長く続け、近年は薬物中心でなく複数人の対話で患者の回復を図る「オープンダイアログ」の実践で知られます。過酷な家庭環境で育ち、いじめや不登校、うつも経験しました。「一個人の事例に過ぎないのですが何か役に立つ部分があるならば」と体験や聴いてもらう大切さを語ってくれました。

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 父は台湾出身で武術道場の師範。宗教家でもありました。武術用の棒などで毎日、私や家族を殴りました。理屈でなく機嫌次第。感情の抑制ができず、絶対的な支配者です。「俺のプライドを傷つけるな」とよく言っていました。

 私は青あざや目の出血などが日常的にあり、常に顔色をうかがい、おびえていました。家が恐怖に支配された場所だった分、学校は楽しかったのですが、落ち着きがなく集団行動が苦手。うそばかり言う子どもになりました。

 小学3、4年生ぐらいになると、周りからうっとうしがられるようになりました。愛情に飢え、常にかまってほしいので、友達の関心をひくためにうそをつき、自慢したがる。今で言うマウントです。「うちにはタイムマシンがある」とか。すぐバレるのに。

 自分でもどうしたらいいか分からなかったのだと思います。間違いを認めると父に殴られてきたので、友達にも「ごめん」が言えず、「うそつき」と言われて無視されました。

この苦しさ、気づいてほしくて家出

 中学に入り、「もううそはつかない」と決めて、最初の1年は仲の良い友達ができましたが、だんだんうまくいかなくなりました。学校にも居場所がなくなり、自宅を出た後に公園や林で過ごし、親が家に不在の時間にこっそり帰宅する時期もありました。

 中2では家出もしました。父が荒れた日、もう家にいられないと思って友達の家へ。その後もなんとなく歩き続けて深夜のコンビニで時間をつぶし、最後は池袋駅で警察官に保護されました。

 この苦しさに気づいてくれるかもという最後の期待のようなものがありましたが、迎えに来た母親の「遊びに行きたいなら言えばいいのに」という言葉ですべて消えた思いでした。ただ実際には、母は私を泣きながら捜し続け、支配者の父にもさからう言葉を投げつけたそうです。後から知って救われる思いでした。

 こうした経験から、私は「自分の意思を持たないこと」が一番安全だと学び、内に閉じこもっていきました。ただ父の宗教のしばりがあったので、自殺という選択肢はありません。怖さ、苦しさ、寂しさという地獄の中で生きていて終わりがない状態でした。

 父に「医者になれ」と言われていましたが、医学部にはとても入れない。ただ自分の意思もないので、父に言われるまま京都府の大学で鍼灸(しんきゅう)を学びました。3年生のときに阪神大震災が起きます。神戸に毎日通ってマッサージなどのボランティアを続けました。

 最初は「活躍して目立てば偉い人になれる、父から認められる」と浅はかにも思っている部分がありました。途中で全く間違った考えだったと気付きましたが、とにかく世間知らずだったのです。世の中にはいろんな人生があるんだと初めて知りました。つらく悲しい現場でしたが、自分も生かされている実感がありました。

受け止めてくれる仲間に記憶の封印を解いたら

 その後、医学部に入り精神科医になりましたが、東日本大震災での支援活動の後などに、うつや適応障害を経験しました。突き詰めてしまう性格が一つの原因です。その都度、友人・先輩に救われました。

 2019年、フィンランドでオープンダイアログの研修を受けたとき、家系図を作り、ルーツについて話す時間がありました。家族については、記憶そのものを半ば封印していました。でも研修先の仲間たちは意見や評価をするような人々ではなく、受け止めてくれることが分かっていたので、少しずつ話せました。

 誰にも言えなかったことも語れました。感情のふたが開いて、意外な気付きもあり、たくさん涙を流しました。一連の研修の後、人の顔色や視線を気にしていた私の人生が一変しました。どう言われても構わない、という心持ちになれたのです。

 つまずきを抱えた子どもや思春期の若者を、クリニックで診ることがあります。オープンダイアログの手法では、医師と本人の2人ではなく、両親や家族、複数の医療スタッフらが一緒に輪になります。それぞれが話し、また聴きます。

 思い込みで決めたりせず、一方的に質問することもなく、何があったのか、何に困っていてどんな気持ちなのか、望むことは何か、本人が語りたい内容に耳を傾けます。家族内で話すと、互いの言葉に強く反応して聴けない場合があります。そこに複数の第三者が入ると、本音が伝えやすくなります。

 いま、つらい思いをしている子どもたちに言いたいのは「すぐ状況が変わらなくても、絶対になんとかなるから、助けを求めてほしい」ということ。きちんと聴いてくれる人が必ずいます。渦中にいると、感情に言葉がうまく付かないこともある。でも、せかさず聴いてくれる人に話すと、気持ちが変わっていきます。

 周りの人にお願いです。「こうなの?」と先回りせず、本人の話を最後まで、そして何度も聴いてください。何でも話しても大丈夫だと思えるように助けてください。(聞き手・上野創)

 もりかわ・すいめい 1973年、東京都生まれ。精神科医、鍼灸(しんきゅう)師。95年に阪神大震災のボランティアに関わり、2003年にホームレス支援団体「TENOHASI(てのはし)」を設立。09年、国際NGO「世界の医療団」東京プロジェクト代表医師。20年、フィンランドでの訓練を経て精神科の療法「オープンダイアログ」のトレーナー資格取得。都内のクリニックで診療に携わっている。

主な相談先

【#いのちSOS】0120・061・338 24時間受付

【いのちの電話】0120・783・556 毎日16~21時

【チャイルドライン】0120・99・7777 毎日16~21時 対象は18歳まで

【24時間子供SOSダイヤル】0120・0・78310 毎日24時間

【生きづらびっと】LINE @yorisoi-chat

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この記事を書いた人
上野創
東京社会部|教育担当
専門・関心分野
教育、不登校、病児教育、がん

連載#withyou(全20回)

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