長崎への原爆投下を同行ルポしたNYT記者 時代とともに評価が変化
第2次世界大戦中、米国が原爆開発を進めたマンハッタン計画に「広報担当」として参加したニューヨーク・タイムズ(NYT)の記者がいた。世界初の核実験に立ち会い、長崎への原爆投下に同行した報道は高く評価され、米社会にも大きな影響を与えた。だが、近年、報道姿勢や記事の内容が問われている。
ウィリアム・ローレンス記者(1888~1977)は戦前から科学担当として活躍し、核分裂や原子力の可能性にいち早く着目していた。その知識もあって、マンハッタン計画を指揮していた米陸軍のレスリー・グローブス将軍が1945年4月に招聘(しょうへい)した。
グローブス将軍の自伝によると、「より客観的な表現」への期待から新聞記者に広報担当を依頼した。NYTの幹部やローレンス記者と面会して「求めている人物だと確信した」と振り返っている。ローレンス記者はその後約4カ月にわたってNYTの社屋から姿を消したが、その間も給与はNYTが支払っていた。
核実験の広報文を作成も、真実は伏せる
原爆の開発計画は極秘だった…
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- 【視点】
ローレンス記者が長崎に原爆を投下する爆撃機に搭乗し、その後、広島か長崎に訪れ、キノコ雲の下で何が起きたかを記事化していたら、本当にピュリツァー賞ものだっただろう。 上と下を取材した記者は、過去にいないのだから。
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