「出しゃばるな」「おしとやかに」候補者の妻って…都知事選で考えた

東京都知事選2024

聞き手・篠健一郎

 7月にあった東京都知事選で15万4638票を獲得し、5位に入ったAIエンジニア安野貴博さん(33)の選挙戦で、夫について語る妻・里奈さん(33)の応援演説動画がSNSで注目を集めました。里奈さんは大手出版社の編集者として、選挙中も仕事を続けていたそうです。会社にはどう説明し、選挙とどう両立させていたのか。「候補者の働く配偶者」として臨んだ選挙戦について聞きました。

――貴博さんを応援する演説動画が「うますぎる」と拡散しました。準備はどの程度していたのですか。

 投開票日の2日前にした演説の動画を、ボランティアの方が翌日朝に投稿してくれました。その日、「動画を見ました」と言って演説会場に来てくれた方もおり、とてもありがたかったです。

 素人臭さがウケたのではないかと思います。裏では、演説のコツをボランティアの方々に細かく指導してもらっていたんです。「演説中の手はグーではなくパー」「候補者名を序盤に入れる」「前髪は留めたほうが印象が良くなる」などと教えてもらいました。

 話す内容は直前に考えていました。演説会場で「5分集中させて」と周りに伝えて。中学から大学までの演劇経験は、もしかしたら役に立ったのかもしれません。

「出しゃばるな」「夫を自己実現に使っている」の声も

――演説にはどんな反応があり、どう受け止めましたか。

 告示日の前夜、安野(夫)から「第一声(選挙活動として初めての公の場での発言)の前に話す人が必要そうなんだけど……」とお願いされ、引き受けたものの途方に暮れました。チームメンバーに台本を書いてもらい、なんとか乗り切りました。最終的に40回ほど演説をしたのですが、最初以外は台本は使わず、中野区なら中野区に合わせた話をするなど、演説場所や時間などによって話す内容を変えました。

 演説会場で面と向かっては言われませんでしたが、「出しゃばるな」「政治家の妻たるもの、おしとやかにすべし」「夫を自己実現に使っている」などの声はSNSを通じて届きました。

 選挙については夫婦ともに素人で、「候補者の妻」のスタンダード(標準)がわからず、手が空いているからやる、ぐらいの気持ちだったので、そうした投稿に対し、「妻」って何なのだろう……と家族制度みたいなところまで考え込んでしまいました。

 編集者として、本を売るために人前に出て宣伝をした際、「出しゃばるな」と批判されたことがあります。そのときは本の価値が損なわれなければ、私が何を言われても良いと考えました。今回も同じ。私が何を言われても、安野が目指す政治に注目していただく一つのきっかけになったのであれば、良かったと思っています。

――選挙中、仕事はどうしていたのですか。

 小説やエッセーなどの編集をして十数年になります。時間に融通が利き、裁量が大きい仕事なので、選挙と両立しやすい環境にありました。

 朝に演説を手伝った後に会社に行き、夕方に抜けて再び演説を手伝って会社に戻るという日が数日ありました。有給休暇を取ったのは終盤の数日で、それ以外はいつも通り働いていました。

――会社にはどう伝えていたのですか。

 当初、安野は、ネット上で支持を呼びかける「空中戦」を中心に考えていたようです。「ポスターも1人で貼る」と言っていたぐらいだったので、週末に手伝うぐらいかなと考えていました。

 そのため、会社には「夫が出馬することになりました。できる範囲で協力します」と伝えました。仕事に支障がないようにすることは念押しされましたが、理解のある職場環境で、ありがたかったです。

仕事や子育て…それぞれの生活を前提に

――振り返ると、「週末に手伝うぐらい」以上に関わっていたのでは。

 共通の友人が一人また一人と選挙活動に協力してくれるようになり、私が関わったほうがメンバー間の意思疎通がしやすくなるだろうと思い始めました。また、安野がパンク気味だったので、演説の段取りやボランティアのとりまとめなどを担当することにしました。会社で言えば、総務部と人事部を合わせたような仕事ですかね。家族としての支援というより、ボランティアチームの一員としての意識が強くありました。

 私たち夫婦の同級生を中心に、20~40代の100人ほどが集まりました。専業の選挙プランナーなどにはお願いせず、皆はじめての選挙戦です。

 仕事や子育てなど、それぞれの生活があることを前提に作業の割り振りを考えました。インドやフランス、シンガポールなど海外から協力してくれた人もおり、SNSやトラブルなどに24時間対応することができたのはありがたかったですね。フルタイムで関わる人がいなかったことで、「人任せではいけない」という当事者意識が各メンバーに芽生えた面はあったかもしれません。

――100人のボランティアをとりまとめながらの編集者業はとても大変そうですが……。

 徹夜続きで、体力的にはあまりにハードでした(苦笑)。今振り返ると、通常であれば半年はかかりそうなプロジェクトに、2週間で取り組んだような感覚です。

 確認、連絡、返信……(チャットサービスの)スラックの通知が鳴りやみませんでした。数時間でスマホの電源が切れ、モバイルバッテリーが欠かせませんでした。

何かを犠牲にする選挙支援に疑問

――選挙期間中、仕事を完全に休むことは考えませんでしたか。

 普段の生活を守ることは、超えてはいけないラインだと思っていました。仕事先に迷惑をかけたくありませんでしたし、普段の生活と選挙が両立できることを自分でも確認したい、という思いがあったのかもしれません。

――どういうことですか。

 何かを犠牲にしないと選挙活動が成り立たないのはどうなのか、という思いがありました。そうでないと、退職した人など、限られた人しか選挙に関われなくなってしまうためです。

 ボランティアにも、自身の健康や生活が脅かされるようなことはしないでくださいと伝えていました。

 ボランティアの中には「私はこんなにやっているのに、候補者の家族は仕事に行っているのか」と思われた人もいたかもしれません。ただ、候補者の家族が仕事をしているのなら自分たちも生活を犠牲にしなくて良いんだと思ってもらいたい、そのほうがチームがより良い形で回るのではないか、と考えました。それで回らないなら活動の規模を小さくすべきだ、と思っていました。

どんな人でも参加できるように

――候補者の配偶者として、働きながら選挙活動を支えることをどう考えますか。

 私の場合は、職場の周囲の方の理解に加え、社会人10年目ほどで、裁量労働的な働き方だからこそ成り立った部分があり、特殊な事例だったと思います。エッセンシャルワーカーや新入社員、管理職だったら、同じようにはいかなかったかもしれません。

 一方で、「特殊事例」で終わらせないためにはどうすれば良いのか、どんな人でも参加ができる選挙にするには、どんな制度や仕組みが必要なのかを考えるようになりました。候補者の妻は専業主婦じゃないと手伝えない、徹夜しないと回せない、というのは何か違いませんか。

 (ソフトウェアの開発ツール)「GitHub」を通じた政策提案や、ボランティアと取り組んだ選挙掲示板へのポスター貼りを通じ、政治に興味がある人がこんなにもいると知り、仕組み次第でもっと政治に関わる人が増やせるのではないかと思うようになりました。

 どんな環境にある人でも選挙や政治活動に参加できるようにする、そのためにはどうすれば良いのか――。明確な解はまだありませんが、固定観念にとらわれず、考え、発信していきたい。今、そう思っています。(聞き手・篠健一郎)

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この記事を書いた人
篠健一郎
専門記者
専門・関心分野
データジャーナリズム、プラットフォーマー
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    奥山晶二郎
    (サムライトCCO=メディア)
    2024年8月2日18時22分 投稿
    【視点】

    徹夜でパートナーの選挙と自分の仕事との両立をはかるという大変な日々でありながら、終始、俯瞰した視点で選挙を見ている様子がうかがえて、そのギャップが新鮮なインタビューでした。 バズった応援の演説動画が注目されましたが「素人臭さがウケた」と冷静に分析する一方で、実はちゃんと、練習もしていたという。 冷静さと情熱が両立した姿勢は、短いフレーズのぶつかり合いが目立つ昨今、大事なスタンスだと思いました。油断すると手段が目的化してしまう。勝てばいい、制度に穴があるならハックしちゃえ、みたいになってしまう残念さとは対極にある。 選挙において「死票」なんてものはなく、新しい価値観が広がるきっかけとなった都知事選だったとあらためて思いました。

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