無痛分娩に「育児できるのかね」の偏見 欠けているのは人権の視点

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聞き手・田中聡子
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 陣痛を麻酔で和らげる無痛分娩(ぶんべん)が、日本ではあまり広がりません。分娩施設が小規模なことや麻酔の管理の難しさなどが理由に挙げられますが、無痛分娩を研究する田辺けい子さんは、それだけではないと指摘します。「産みの苦しみ」の背景に何があるのでしょうか。

 無痛分娩(ぶんべん)の研究のきっかけは、助産師の経験です。勤めて1年目のこと。その施設には外国人の女性が多く、彼女たちは当然のように無痛を選んでいました。ところが同じことをする日本の女性について、先輩たちがこんな風に話していたんです。「無痛分娩なんてしちゃって、ちゃんと育児できるのかね」、と。

 「産みの苦しみ」には、二つのまなざしが向けられていると感じます。一つは、「おなかを痛めた子」という言葉に象徴される「特別なもの」です。もう一つは「当然のもの」。出産は痛くて苦しくて当然なんだ、もっと言えば「それがあるべき姿だ」という考え方です。「特別」と「当然」という矛盾するものが絡み合っています。

 これは、日本で無痛分娩が広がらないことにつながっています。欧米では無痛分娩が一般的で、フランスでは8割、米国では7割に上ります。ところが日本は1割程度。出産を集約化しているフランスなどと異なり、日本は多くの出産を小さなクリニックが担っていて、麻酔の管理が難しいのは確かです。でも広がらない現状の根底には「力を入れる必要はない」という人々の意識がある。

 医療者だけではありません…

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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2024年7月8日9時0分 投稿
    【視点】

    与謝野晶子は、1916年に無痛分娩を経験している。「無痛安産を経験して」(与謝野晶子『我等何を求むるか』天弦堂書店、1917年、所収)では、その体験について詳細に述べたのち、「かうして私は珍しく一声の悲鳴も挙げず、一しづくの汗すら流さずに産

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    小林恭子
    (在英ジャーナリスト)
    2024年7月8日14時25分 投稿
    【視点】

    在英の筆者には子供を産んだ経験がなく、「無痛分娩」のことを知ったのはそれほど昔ではありません。 でも、他国では普通になっている無痛分娩が日本ではほとんど採用されていないことを知り、大きな衝撃を受けました。 上の記事ではなぜ広がらないかの

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