働き手不足があぶり出す「面倒見のいい」上司の孤立 東畑開人さん

有料記事社会季評

東畑開人さんの「社会季評」

 働き手不足が提起する問いは深遠である。

 当たり前のことだが、誰もがまず「いかに来てもらうか」と問うことだろう。手を集めないと、モノもサービスも作れない。実際、賃上げや外国人労働者をめぐる法整備など、様々な社会的対策がなされている。大切なことだ。しかし、それだけでは足りない。

 同時に、「いかに居てもらうか」が問われねばならない。離職を防ぎ、元気に働き続けてもらうこと。人間が持続可能でなくては、無限に手を集め続けなくてはならず、そしてそれが無限ではないことこそが問題なのである。

 そのために、当然給与や労働時間などの待遇改善がなされるわけだが、やはりそれだけでも足りない。人の役割が決定的だ。働き手は孤立するときに、働き続けられなくなる。だから、職場に面倒を見てくれる人がいて、心を許せるつながりがあることが必要だ。

 そう、働き手はモノやサービスを生み出す「手」でもあるけど、本質的にはそれぞれの人生を抱えた「人」である。サステイナブルな職場であるためには、そこで働く人間がサステイナブルでなくてはならない。このとき、制度やお金だけではなく、人間は人間に支えられるという深遠な現実に直面せざるをえない。ほら、働き手不足に直面すると、次から次へと人間についての問いがあふれてくるではないか。

 人間を支える人間、つまり具合が悪くなったときに面倒を見てくれる上司の話をしたい。私も病院や大学で働いているときには散々お世話になった。幸運な出会いだったと思う。大学を辞める相談をしたときも、ひどく心配してくれて、仕事を肩代わりし、円満に退職できるようにと多くの配慮をしてもらった。おかげでポンコツながらも、そこから1年以上職場に居続けることができた。無限に面倒臭い仕事を増やしたと思うのだが、嫌な顔一つしない彼らのことを、「徳が高い」と思わざるを得なかった。

 「徳が高い」とは時代がかっ…

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