第2回「先生、東京に帰らないで」鳥取を選んだ正子 もう一つの「虎に翼」

有料記事「女のくせに」と言わせない

花房吾早子

 弁護士の足立珠希(53)は、ある女性の波乱の人生をドラマ化しようと考えていた。

 こんなあらすじだ。

 1940年、日本初の女性弁護士3人が誕生した。その1人、29歳の正子は東京・丸の内の法律事務所に勤め、月刊誌「主婦之友」で法律相談も。法服姿の写真が女性読者の心を捉え、相談が殺到した。しかし……。

 足立は2015年、日本弁護士連合会の理事会で構想を紹介し、翌年には機関誌にあらすじを寄稿。所属する鳥取県弁護士会で「正子先生朝ドラ化推進プロジェクト」を立ち上げ、大学や鉄道会社、自治体などに協力を呼びかけた。

 「でも、幻の幻なんですよ」

 正子とは中田正子。NHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公のモデル、三淵嘉子と同じ年に弁護士になった人物だ。朝ドラにも、中田を思わせる「久保田先輩」が登場する。

 それにしても、足立の「正子先生愛」の深さはなにゆえなのか。

日比谷公園を一人さまよい…決断

 新渡戸稲造が校長をつとめ、吉野作造が政治学を教える――。

 東京の女子経済専門学校(現・新渡戸文化短期大学)に中田が入学したのは1928年。とりわけ夢中になったのは、民法学の先駆者と知られる我妻栄の講義だった。

 「いつもにこやかに実例をあげながら分かりやすく民法の話をされる」

 31年、中田は日本大学の法律学科に進む。当時は女性の正規入学が認められなかったため、「選科生」として男性と同じ授業や試験を受けた。

 ここで、女ゆえの理不尽を味わう。

 2年後の法改正で女性に弁護士への道がひらかれても、中田に受験資格はなかった。「正規生」ではないからだ。

 「ぼうぜんとして日比谷公園にさまよいひとり涙した」

 そして、ある決断をする。明…

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この記事を書いた人
花房吾早子
大阪社会部|平和・人権担当

原爆、核廃絶、ジェンダー、LGBTQ+

連載「女のくせに」と言わせない(全4回)

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