ガーナで家族関係を考える 複数のよりどころを持ちながら生きてゆく
小佐野アコシヤ有紀さん寄稿(中)
ガーナの首都アクラ。ケアをめぐるフィールドワークのヒントを探していた筆者は、留学先の同級生に誘われ、郊外の町に向かいます。
「カースワ・ラパース、カースワ・ラパース」
「マディナマディナマディナマディナ」
スピードをゆるめ、ドアを開放したバンタイプの車から半身を乗り出した男性たちが、太い声で何かを叫んでいる。後に知ったことだが、これは乗り合いバスの車掌による行き先アナウンスだ。フェリシアは私の手を取ると、「カースワ・ラパース」の声の方へ走り出した。
「すみません! ふたりです!」
私たちはこれから、少し離れた町に住むフェリシアの祖母を訪ねに行く。
フェリシアとダイアナおばあちゃん
「今日の夜、おばあちゃんちに帰るの。一緒に行かない?」
社会学の授業の同級生、フェリシアがそう持ち掛けてきたのは、ガーナ大学での留学生活が始まってすぐのことである。その日の放課後、数日分の着替えをリュックに詰め込んだ私たちは乗り合いバスに飛び乗った。
ガーナ共和国の首都であるアクラは、西アフリカ沿岸部に位置する大きな都市だ。海沿いの平らな地域を中心として、波紋のように広がる郊外の丘陵地帯にまで小さな暮らしが連なる。この時初めて見た夜の丘の町は、家々の小さな灯(あか)りが集まって、光の波が幾重にも重なっているようだった。あの丘のひとつに、フェリシアの祖母であるダイアナおばあちゃん夫婦とその娘の子どもたち、そしてフェリシアのきょうだいたちが暮らしているのだという。
「もうすぐよ」
フェリシアがささやいたのが合図であったかのように、ぱっとあたりが暗くなる。どうやら停電したようだ。電気のない夜の町は、見えない人の気配を抱えてざわざわと膨らんでいた。
暗闇のなかバスを降りたフェリシアは丘の道をずんずん上り、難なく網戸を見つけてするりと家の中に入っていく。玄関と一体化した居間の真ん中にはろうそくが置かれ、そのまわりでいくつもの影がはねていた。
はやりのガーナ音楽と思われるアフロビートが流れている。私にとっては、さっそくピンチ到来である。私は踊りが大の苦手なのだ。しかし、連れのフェリシアが「イエーイ」と言って輪に入っていくので私も倣うしかない。中腰で体を揺らし裏拍で手をたたく人々のなか、私はひとりで盆踊りの振り付けを繰り出して乗り切った(意外とマッチすることが分かった)。
しばらくすると、居間の奥にある台所の網戸がギギギと開き、老齢の女性が現れた。フェリシアは「おばあちゃ~ん」とほほえみ、彼女のもとへ歩み寄る。
「こちらがダイアナおばあちゃんよ。そこにいるのがおばあちゃんの娘の子どもたち、そして私のきょうだい」
当時、フェリシアは2週間に1回くらいの頻度でダイアナおばあちゃんの家を訪れていた。そして一緒に市場に行ったり料理をしたり、ダイアナおばあちゃんが娘から預かっている孫たちの世話をしたりして過ごす。
そんな彼女のことを、ダイアナおばあちゃんはとても好いていた。フェリシアが大学の寮へ帰るとき、ダイアナおばあちゃんはお手製のスープをたっぷりと持たせる。ダイアナおばあちゃんは、のちに私に対して「あの子と出会わせてくれた神に感謝しているよ」と語った。
フェリシアがダイアナおばあちゃんの家を頻繁に訪ねていた理由はもうひとつある。親しくしているきょうだいたちに会うためだ。きょうだいたちはフェリシアとともにダイアナおばあちゃんを手伝い、夜には居間の床に転がりながらたわいない話で盛り上がってそのまま雑魚寝していた。
親しさと世話でつながる
初回の訪問以降、私は都合のつくときにフェリシアに付いてダイアナおばあちゃんを訪ねるようになった。ことあるごとに助け合う2人の関係性が、私が留学の目的としていたケアについてのフィールドワークのヒントになるかもしれないと思ったのだ。
ある時、フェリシアとダイアナおばあちゃんがフェリシアの母親の話をしていたので、私はかねて疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「フェリシアのお母さんは、おばあちゃんの何番目の娘さんなの?」
実際にはその時、ダイアナおばあちゃんがフェリシアの父・母どちらの親なのかは知らなかったのだが、こうきけば答えてもらえるだろうと思ったのだ。しかし、おばあちゃんは大笑いして、「おおフェリシア、説明してやりなさい」と促す。きょとんとする私に対し、フェリシアはこう言った。
「私たちは血がつながってい…
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