芸術の本質を体現した真島茂樹さん マツケンサンバⅡの作曲家が語る
この人の振り付けを得て、「マツケンサンバⅡ」は日本の文化になった。22日に77歳で亡くなったダンサーの真島茂樹さんは、クラシックバレエで培った深い技術を、振り切って人々の心の幸福のために差し出すことのできる極上のショーマンシップの持ち主だった。作曲した宮川彬良さん(63)がその才能の本質を、真島さんとの出会いや「マツケンサンバⅡ」にまつわる様々な秘話を絡め、たっぷり語った。
――あまりにも突然の訃報(ふほう)でした。
僕のオヤジ(作曲家の宮川泰さん)が亡くなったのも、真島さんと同じ虚血性心不全でした。前日まで普通にチューハイとか買いに行っていて、朝、冷たくなっていた。全然苦しまないで逝きましたよ、とお医者さんに言われたので、ああ、真島さんもそうだったらいいなって思いました。
――最近も、一緒にお仕事を。
はい、松平健さんの芸能生活50周年に向け、お祝いに新しい曲をつくったばかりです。これから真島さんに振り付けていただく予定でした。
――最後にお会いしたのは。
3月に東京都内で開かれた、東日本大震災のチャリティーコンサートでした。そのゲストが松平健さん。久しぶりに「マツケンサンバⅡ」の生みの親の3人がそろいました。
松平さんの生歌に、僕が指揮をしてオーケストラの生演奏をつけるのは、実はこれが初めてだったんです。「腰元ダンサーズ」と一緒にスポンサー会社の社員さんたちも舞台に立ったのですが、真島さんはプロアマ関係なく、いつものように厳しく指導して、「最後は笑顔よ!」とみんなを舞台に送り出していました。ものすごく盛り上がって、舞台袖で真島さんと抱き合って、「最高!」と大喜び。「僕ら、今日、すごいショーをつくったんだ」って満足感でいっぱいでした。
――真島さんの指導の真剣さ、厳しさは、語りぐさでした。
亡くなってから気付いたんですけど、真島さんの厳しさって、振りの正確さを求めるとかそういうのではなく、堂々と、朗らかに舞台に立つということに、ひとえに向けられていましたね。作り笑いじゃなく本物の、自信たっぷりの笑顔で踊りなさい、と。彼はずっと、そういう意識で仕事をしていたんだと思います。
――2人での最初の仕事が「マツケンサンバⅡ」だったのでしょうか。
それがね、違うんです。あまり知られていないかもしれないけど、実は僕たち、開園当時の東京ディズニーランドで一緒にショーをつくっていたんです。1983年にオープンしたのですが、その1年前から。
メインキャストのひとりが真…