益城のボランティア能登へ 炊き出しで恩送り

能登半島地震

森北喜久馬
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 2016年の熊本地震で震度7の揺れに2度襲われた熊本県益城町の有志が、能登半島地震の被災地で炊き出しをした。「恩返し」ならぬ「恩送り」の思いを込めた。

 NPO法人「益城だいすきプロジェクト・きままに」のメンバーら6人は3月25日、石川県能登町に入った。熊本県人吉市のロータリークラブが所有し、熊本地震や2020年の熊本豪雨でも被災地に駆けつけたキッチンカーを使って料理をふるまうのが目的だ。

 益城では一時、町民の2割強にあたる7737人が仮設住宅での生活を余儀なくされた。NPOは当時、仮設団地を自主運営した町民が立ち上げた。全国の被災地で支援を続けている。

 元日に能登半島地震が起きると一刻も早く現地に行こうとしたが、先行して入った宮城県石巻市のNPO「オープンジャパン(OJ)」から「今は泊まる場所さえない」と止められた。それから3カ月近く経ち、OJが宿泊場所や炊き出し先を決めてくれて準備が整い、一行は3月26日から30日まで、昼と夜、1日2カ所で炊き出しをした。

 初日だけは人吉の郷土料理「つぼん汁」を仕込んでいたが、その後は現地にお金を落とそうと、食材をその都度買うつもりだった。ところが、店が少ないうえ、どこも夕方6時には閉まってしまう。「地元の人は買い物できるのだろうか」と心配になったという。

 植田衣江さん(61)は自主避難所になっていたイチゴ農園のビニールハウスの傍らに、仮設の浴室があるのを見つけた。ブルーシートで囲った中に湯船が備え付けられ、シャワーもある。足が不自由なお年寄りでも困らないよう、背の低い椅子まで用意されていた。「大変な状況だけど、暗い顔をした人はいない。地域の結びつきがとても強いんだ」と感じた。

 炊き出しをした多くの場所で、一緒に調理するのを買って出てくれたのもうれしかった。

 炊き出し先の一つは病院だった。そこに貼った手書きのメニュー表には「恩送り」という言葉を書いた。

 「きままに」代表理事の吉村静代さん(74)は言う。「8年前、私たちは全国の人に助けられた。その恩は決して返せないほど大きかった。私たちができるのは、その恩の一部を次の被災地に送ることだけです」

 能登のために何ができるのか。メンバーは次の一手を考えている。(森北喜久馬)

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