「木国」から消えた筏流し 薄れる川と人のつながり、水底に沈む記憶

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 歴史と自然の宝庫で知られる紀伊半島。「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」が今年で世界遺産登録20周年になることもあり、あらためて注目が集まっています。

 朝日新聞では、歴史と自然にあふれる紀伊半島の地の魅力を伝えるコラムが続いています。筆者は奈良の学芸員・松田度(わたる)さん。今回は、そんな広くて深いこの地で語り継がれる「伝統の技」について紹介してくれました。

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 紀伊半島は「木国(きのくに)」といわれます。古来、森林資源に恵まれていたということでしょう。

 山から木を切り出し、消費地(都市)へ運ぶ方法としては、「川の道」が最適でした。谷筋から川の支流・本流へ丸太を運び、藤つるやカンと呼ばれる金具で丸太をつないで筏(いかだ)を組み連ね、筏師がそれを操り下流へと送る「筏流し」です。とりわけ、吉野杉・吉野檜(ひのき)の主産地でもある吉野川(紀の川)流域は、まさに筏流しの中心地でした。

 筏を流す、といっても簡単ではありません。川の上流・中流では、激流の渦を乗り切るための特殊な技と心得が筏師に求められました。もし筏が転覆して脚が巻き込まれたりしたら、すばやく藤つるを断って逃げ出せるよう、彼らは小型のヨキ(斧)を肌身離さず持っていたといいます。

 吉野川の流域でも、筏流しの…

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