「教訓を生かしたシステム構築を」 原発避難者らが振り返るシンポ

滝口信之

 東日本大震災による福島第一原発事故で、福島県富岡町や川内村の住民を最大約2500人受け入れたイベント施設「ビッグパレットふくしま」(郡山市)。当時の避難生活を振り返るシンポジウムが28日、富岡町であった。次の災害にどう生かすか関係者が話し合った。

 シンポの会場は震災伝承施設「とみおかアーカイブ・ミュージアム」。川内村の遠藤雄幸村長や、当時ビッグパレットふくしまの副館長だった鈴木政美さんら5人が登壇した。

 原発事故で富岡町と川内村の住民は避難を余儀なくされ、2011年3月16日、ビッグパレットふくしまに避難。8月末までの約5カ月間、身を寄せた。この間、社会福祉協議会を中心とするボランティアセンター「おだがいさまセンター」、臨時災害放送局「おだがいさまFM」が立ち上がり、避難者を支えた。

 富岡町民はビッグパレットふくしまに避難する4日前の12日、隣の川内村に避難。だが、福島第一原発ではその後も水素爆発が相次いだ。遠藤村長はビッグパレットふくしまを避難先に選んだ理由について「富岡町の遠藤勝也町長(故人)と話し合い、駐車場も広かった」と説明。施設内に入れなくても、駐車場が使えると考えたとした。実際、車で避難した人が車中泊をするときなどに役立ったという。

 当時、町社会福祉協議会の職員だった吉田恵子さんは広報紙を作り、避難者に配った。「避難者からは『自分らも何かしたいな』という声が多く寄せられた。避難者も一緒に参加して避難所を運営することが大切」と吉田さん。「災害はいつ来るか分からない。今後も経験を語り継がないといけない」と訴えた。

 当時、富岡町職員で現在副町長の竹原信也さんは「避難所を開設すると、どの避難所も毛布を敷いて、床の上に座っているだけという状況が多い」と指摘。当時、県の責任者として常駐した天野和彦・福島大特任教授は「首都直下型地震の発生に備える今、東日本大震災の教訓を生かした(避難所運営の)システムの構築を考えていかないといけない」と語った。

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 「とみおかアーカイブ・ミュージアム」では、企画展「震災遺産を考える2024~ビッグパレットふくしま避難所を考える~」も開催中だ。当時の避難所を再現した展示や、支援物資として届いたランドセルも並ぶ。

 企画したのは主任学芸員の門馬健さん。「東日本大震災後も各地で災害が起きているが、避難所の様子は変わっていないことを知ってほしい」と昨秋ごろに発案した。今年1月の能登半島地震でも「同じような避難所の映像が流れてくる」と感じているという。

 「日頃から避難所を開く準備を進めなければ、何年経っても避難所の様子は変わらない。災害を遠いものとして考えず、誰もが我がごととして考えるきっかけにしてほしい」と門馬さん。入場無料。5月26日まで。(滝口信之)…

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