また消える「まちの本屋」 仙台・金港堂閉店、書店盛衰史をたどる

構成=編集委員・石橋英昭

 【宮城】仙台市の中心部で110年以上続いた老舗・金港堂本店が30日で店を閉じ、「まちの本屋」がまた一つ、姿を消す。自他ともに認める書店マニアにして本の収集家、仙台市広瀬図書館館長の菊池雅人さん(71)が、仙台の書店盛衰史を語った。

 私は仙台市青葉区で生まれ育ち、大学も東北学院大でした。本の虫になったのは中学生の頃から。創元推理文庫の棚で海外ミステリを探したのが、金港堂本店でした。

 1970~80年代の仙台の若者は、「銀ブラ」をまねして「番ブラ」と言っていた。南北に伸びる一番町の商店街と、交差する中央通を歩くんです。金港堂は一番町の南端に位置し、ここになければ高山書店、アイエ書店、あるいは中央通へ曲がって宝文堂、八重洲書房へ。棚の配置や品ぞろえに個性のある書店が十数軒、二つの通りにひしめいていた。こうした地元書店は学校教科書も扱い、春は親子連れでごった返したものです。

 当時、人々の待ち合わせ場所といえば書店でした。立ち読みにもおおらかだった。映画館やレコード店もいくつもある。まちをひと回りすれば、気になっていた新しいモノにどこかしらでぶちあたります。藤崎と仙台三越の両デパートもあり、中心街はいつもにぎわっていました。

 その後、仙台は大型書店の時代に突入します。先駆けは80年、一番町のジャスコ(後のフォーラス)に金港堂ブックセンターが開業したことでした。98年まで続いた同店は商業ビルのワンフロアを占め、当時は東北最大級と言われました。

 97年には仙台駅前のイービーンズに、神戸市発祥のジュンク堂書店が出店します。3倍以上の広さでした。同じ年、長町に紀伊国屋書店がオープンするなど、郊外にも大型店ができます。2002年には丸善が仙台駅前のアエルの1階で開業。00年代に入ると、これら大手資本の書店と入れ替わるように、中心街の地元書店が相次いで閉店してゆきます。

 日本で出版物の販売額がピークだったのは、96年だそうです。振り返れば、この頃から構造変化は始まっていたのかもしれません。

 そして、2011年3月11日がやってきます。

 東日本大震災では、建物被害がそれほどではなくとも、書棚から大量の本が落下し、雑誌や新刊本の物流も止まった。仙台の書店員たちは皆、復旧に懸命でした。

 発災から10日余り後、再開した丸善に出かけました。カウンターに見たことのない行列ができている。みな日常を取り戻したかったんでしょう。書店は「希望」でした。

 それから13年、仙台の書店界はめまぐるしく変遷しました。ジュンク堂は、巨大書店の代名詞だったイービーンズの店など2店が14年に、他1店も21年に閉店。やはり中央資本のあゆみBOOKSは最大3店あったのが、今は一番町の1店のみです。一方で12年、仙台三越の地下に石巻が本社のヤマト屋書店が入りました。

 数軒の大型店は残るものの、今回の金港堂本店閉店で、地域に根ざした書店は中心街からほぼなくなります。本屋に限らない。メガネ屋、靴屋、喫茶店等、そのまちらしさを支えてきた地元資本の店が消え、今やチェーン店ばかりです。買い物は郊外に車で出かけ、若者の遊び場所は仙台駅周辺に移ってしまっています。

 本好きの仙台っ子としては、書店の灯が次々消え、まちがどんどん面白くなくなっていくようで、寂しい限りです。(構成=編集委員・石橋英昭

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 〈金港堂〉 故藤原佐吉が東京の教科書会社・金港堂で働いていた縁で、のれん分けをしてもらい、1910年に仙台市内で創業した。空襲で店が壊れ、現在地に移転。66年に建てた本店ビルが老朽化したため、閉店を決めた。泉パークタウン店、石巻店、大河原店は営業を続ける。現在の藤原直社長は4代目。中学生向け生徒手帳の発行のほか、郷土関係の出版事業も手がける…

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