「リンゴなんか」の声にひるまず 先駆けの祖父 今や有数の果樹地帯

岡本進

 福島市飯坂町湯野の横江義洋さん(76)のリンゴ畑では「授粉」が終わり「摘花」に入った。今年伸びた、まだ細い枝についている花を、すべて手で取っていく。

 「新しい枝だと養分が少なく、いい果実がつかない。養分を残し、来年にいい実をならせるため」と、横江さんは言った。

 福島有数の果樹地帯であるこの地域で、リンゴをいち早く手がけた1人が、横江さんの祖父、伝太郎さんだ。「飯坂町」(1964年に福島市と合併)の隣の瀬上(せのうえ)町(47年に福島市と合併)でリンゴを始めた親戚に勧められた。「リンゴなんかやめろ。田んぼの方が金になる」と周りから言われたが、ひるまなかったと、横江さんは祖母から聞かされた。

 実がなるまでの期間から「桃栗三年柿八年」ということわざがあるが、その続きで「林檎(りんご)にこにこ二十五年」とか「にこにこ十五年」とも言われる。苗木を植えてから、十分な実がなるまでに長い期間がかかることを示している。

 「『いま少し、がんばってみっぺ』と祖父は続けたらしい」

 伝太郎さんは、初めてリンゴの花が咲いた年、慣れない消毒の作業中に、噴射ポンプが体に直撃する事故で亡くなった。昭和時代の初期で、まだ40歳だった。

 リンゴ畑は、義洋さんの父が継いだ。

 「私が小さいころ、『横江君の家はリンゴ箱が置いてある』と友だちからよく馬鹿にされた。家の雨戸を開けると、東京から米の買い出しで、毎日10人ぐらい並んでいる時代でしたから」

 そして、義洋さんの代になった。いまでは周りのほとんどの果樹農家がリンゴを手がけ、白い花を咲かせたリンゴ畑が遠くまで広がる。

 義洋さんの後継者となる、娘の夫の英一さん(51)が畑で働き始め、4カ月がたった。作業は朝5時から取りかかる。

 ここ1週間は、英一さんが朝食を取りに戻るのを、小学2年生の長男、葵さんが家の前で毎日待っている。

 こいのぼりを揚げるためだ。葵さんが生まれ、横江家では義洋さん以来、約70年ぶりに空に舞った。昨年までは父親に手伝ってもらっていたが、葵さんは今年、1人でロープを引いて、こいのぼりを揚げられるようになった。(岡本進)…

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