拾い集めた資料28万点、「公害の原点」伝える相思社が設立50年

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今村建二
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 「公害の原点」とされる水俣病の公式確認から5月1日で68年。地域の記憶や教訓を次代にどうつなぐか。切実な課題に長く向き合うのが、4月に設立50年を迎えた一般財団法人・水俣病センター相思社(熊本県水俣市)だ。民間の力で28万点の資料を集め、伝承の場として存在感を放つ。

 加害企業チッソの工場が垂れ流した水銀ヘドロ、往時の漁具、償いを求めた訴訟資料、患者の写真、被害を世に知らせた作家・石牟礼道子さんの「苦海浄土」の直筆原稿――。

 水俣湾を見下ろす丘にある相思社の施設「水俣病歴史考証館」には、貴重な資料の「一部」がずらりと並ぶ。

 相思社は1974年4月、患者や家族のよりどころとして、多くの支援者の寄付をもとに設立された。患者が自立するために農業に取り組む場、差別を恐れ被害を訴えられない未認定患者を探し支える拠点。時代に応じ様々な顔を持ってきたが、長く活動の軸となっているのが、考証館を通じた歴史の伝承だ。

 展示室はキノコ栽培の工場跡を、資料室はプレハブ小屋を改装。ともに立派とは言い難いが、水俣の暮らしの細部を伝える「現物」の収集にこだわってきた。

 長年の患者支援で培った人脈が支えになった。「漁網ならいくらでもある」「舟を処分するが、持っていくか?」。あちこちから声がかかった。「もらえるもんなら、何でももらった」。88年の考証館開館に奔走した元職員の吉永利夫さん(73)は笑う。

 そんな姿勢が、歴史的な資料を引き寄せた。

 その一つが「ネコ実験の小屋…

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