「。」だからこわいのか 突拍子もない「ハラスメント」が軽んじる声

有料記事ダイバーシティ・共生

哲学者・三木那由他=寄稿

Re:Ron連載「ことばをほどく」(第7回)

 少し前のことになるが、「マルハラ」という言葉を聞いた。SNSなどで話題になり、その後に朝日新聞でも記事になっていた。文末が「。」で終わるメッセージが威圧的に感じられるひとがいる、そうした人々にとって「。」を使うことはある種のハラスメントになりうる、という話だ。その話題をもとに、「そもそもこれはハラスメントになりうるのか」といったことがさまざまに論じられたが、おおよそ一過性のトピックで終わったように思う。

 とはいえ、この一連の流れには違和感を抱いていた。私はハラスメントや労働環境の専門家ではなく、言語哲学者だ。だから私の違和感は言語哲学的な観点からのものである。

 それはすなわち、「ひとつの文ないし言語表現を取り出して、その使用をハラスメントか否かを語ることに(いずれの立場を採用するにせよ)意味はあるのか」、「そのような語り方をすることで現実の会話という具体的な場面が見失われるのではないか」、そして「この話題で盛り上がること自体が持つ帰結をもっと意識した方がいいのではないか」 ということだ。

 「マルハラ」の話題において想定されるのは、例えば「コピーしておいてください!」に比べて「コピーしておいてください。」の方が威圧的に感じられる、といったことだろう。それが実際のところ威圧的に感じられるか否かは個々人の感じ方によるものであって、それ自体としては「ひとそれぞれ」としか言いようがない。だが、ある言動がハラスメントに当たるかどうか問題になる時には、単にそれを受け取ったひとの感じ方の話に尽きるのではなく、その言動が許容されるものなのか許容されないものなのかが重要な論点となっているはずだ。だからこそ、新たな「〇〇ハラスメント」という言葉が生まれるたびに、多くのひとが「問題がない」、「問題がある」などと主張したくなるのだろう。

文そのものに善いも悪いもあるのか

 さて、言語哲学的な観点からすると、文を一つ取り出して「これは言ってもよいことか、よくないことか」と問うのはあまり意味をなさない、というところがまず気になる。これには文と発話の区別が関係している。

 文は、単語から作られる抽象的な構造物であり、それ自体としては真とも偽とも言えないことが多い。例えば「彼女はあのときギターを抱えていた」という文は、それ自体としては真とも偽とも言えない。そもそも、この文だけが抽象的に与えられても、「彼女」が誰なのか、「あのとき」がいつなのかはわからないのだ。

 言葉を実際に書いたり発したりすることを「発話」と言う。文の場合も、それが発話されることによって初めて真偽の評価が可能になる。私が具体的なひと、時点を指しながら「彼女はあのときギターを抱えていた」と言ったなら、そのひとがその時ギターを抱えていたかどうかに応じて、その真偽を判断できる、というように。

 これは真偽に限ったことではない。抽象的な言語的構造物としての文と、その文の発話とは、さまざまな点で異なる性質を持つ。「彼女はあのときギターを抱えていた」という文そのものは単なる言語表現で、「主張」や「命令」といった具体的な力を持たない。けれど、私たちはこの文を発話することで、ときに〈彼女はバイオリンではなくギターを抱えていたのだ〉という主張をおこなったり、〈ギターを持っているのは彼女だ、彼女を追え〉といった命令をしたりする。文の発話によってなされるこうした行為を「言語行為」と呼ぶが、言語行為は文のレベルではなく発話のレベルで生じる。

 では善悪や許容可能/許容不能はどうだろう? これもまた、文ではなく本来は発話における事柄ではないか、と私は思う。

 「彼女はあのときギターを抱えていた」という文そのものに善いも悪いもないが、〈高価なギターが紛失した状況で、実際には彼女がギターを抱えていなかったにもかかわらず、この文を発話した〉という状況ならばこの発話は「うそ」になり、うその性質次第で悪い振る舞いとなるだろう。逆に〈高価なバイオリンが紛失し、彼女が盗んだのではないかと疑われている〉状況で同じことを言い、かつそれが真実なら、発言はむしろ善いものである可能性が高い。

許されるかどうかを決めるのは

 ここで「マルハラ」を振り返ってみるとどうだろう?

 私が見た限り、文末に「。」を付けた文がハラスメントになりうるか否か、そうした文が許容可能か否かといったことが延々と話題になっているように思えた。

 けれど、文そのものがハラス…

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