改革持続の15年と停滞の15年 政治資金制度史で読み解く裏金事件

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政治学者・濱本真輔=寄稿
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 新年度予算案が3月に成立し、昨年末に発覚した派閥の裏金事件を受けて「政治改革国会」とも呼ばれる通常国会は後半に入った。焦点は、「政治とカネ」の問題にからむ政治改革であり、政治資金規正法の改正と政治不信の解消である。

 振り返れば、政治改革は平成の、とりわけ1990年代前半に幾つもの内閣の命運を左右したテーマであった。根っこには常に「政治とカネ」の問題があった。

 筆者は平成の政治改革が議員や政党に与えた影響を、様々なデータに依拠しつつ研究してきた。その観点からすると、今回の問題は政治改革とその後の歩みと密接に関わっており、なかでも次の二点が大きい。

 第一は、2009年の民主党による政権交代後に与野党間の緊張感が失われ、その後の自民党政権下で政治資金改革が停滞したこと。第二は、一定の改革にもかかわらず、透明性を欠く資金の移動が残り、透明性を担保する公開・監視の仕組みも不十分なこと、である。

 本稿では、上記の二点を軸に、政治資金問題について、過去の経緯を踏まえつつ、問題の本質、対応策、今後の展望を考えてみたい。

二つの時期に分かれる改革の歴史

 今回の裏金事件は、組織ぐるみの違法行為が大規模かつ長期に継続した点で、政治家不信を高める極めて深刻な事態である。もっと言えば、90年代以降の政治改革で積み残された、政治資金制度が抱える構造的欠陥を露呈した、根の深い問題だと筆者は捉えている。

 平成以降の政治資金改革を眺めると、大きく二つの時期に分かれる。1994年から2008年までの改革が持続した15年と、改革が低調になったその後の15年である。以下、詳しく見ていきたい。

 リクルート社の子会社の未公開株が政官の有力者にばらまかれ、政、官、財を巻き込む大不祥事となったリクルート事件(1988年に発覚)は、政治とカネの抜き差しならぬ関係を白日のもとにさらした。そこで明らかになったのは政治にかかるカネの高騰である。当時、当選1回の自民党議員10人による政策研究会「ユートピア政治研究会」は、自らの政治資金を公開したが、それによると、年に平均1億2600万円を集め、1億1600万円を支出していた。

 世論の強い批判に危機感を抱いた自民党は、1980年代末から政治改革に着手する。資金スキャンダルを議員個人の倫理に任せず、制度改革で対応する必要性が自民党内で強く認識された。政治資金改革の目標として、カネのかからない政治、個人ではなく政党中心の資金調達が掲げられ、1994年の政治資金規正法改正と政党助成法の制定に結実した。

 具体的には、政治資金制度が改められ、氏名などが公開される基準が、寄付で100万円から年間5万円を超える場合、パーティー券では100万円から1パーティーにつき20万円を超える場合に引き下げられ、透明性が高まった。また、政党助成制度の導入で、総額約315億円が各党に配分される直接的な公的助成も始まった。他方、政策活動費につながる抜け穴が生じ、不透明な資金の流れは残った。

 一方、同時に行われた選挙制度改革で衆議院小選挙区制が導入され、選挙区は縮小、自民党内の“同士打ち”も解消され、政治家の資金集めの負担は減った。自民党の派閥の集金方法も変化を強いられた。企業・団体献金が政党と政党の資金管理団体以外にはできなくなったため、派閥は資金パーティーに傾斜して集金額も減少した。

 その後もスキャンダルが起きるたびに、政治資金規正法は改正された。例えば、2007年には事務所費問題を契機に、国会議員が関係する団体が09年分から人件費を除く1万円を超える支出の詳細を報告、全ての領収書を保管し、外部監査を受けることになった。08年までは改革の動きは常にあったのである。

 背景にあったのは、①連立政権が常態化し、自民党が連立のパートナー(社民党やさきがけ、あるいは公明党)が求める改革に応じざるを得なかった②野党が政権交代の可能性を高めていた――の2点だ。しかし、民主党による09年の政権交代の後、改革の流れはストップする。

 マニフェストで企業団体献金…

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