「まだ貧しい」義援金ためらった時代も 「お互い様」と思惑の歴史

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聞き手・鈴木峻
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 台湾東部沖地震の被害に対して義援金を募る動きが広がっています。1月の能登半島地震では、世界から義援金が寄せられました。日本、世界で起きる自然災害などで、義援金を集めて送る活動は、ごく自然な光景になっています。しかし、「貧しい国から義援金を送るのは不釣り合い」といった考えがあった時代も遠い昔ではないといいます。「災害の日本近代史」などの著書がある土田宏成・聖心女子大教授(日本近代史)に聞くと、各国の思惑が絡んだ災害支援の歴史が見えてきました。

 ――かつては他国への支援に慎重な意見があったのですか。

 1902年5月、カリブ海に浮かぶフランス領マルティニーク島で大きな噴火がありました。日本でも義援金が募られましたが、「志は美しいが、貧乏人には釣り合わない」という論調を展開した新聞がありました。欧州の大国であるフランスに対して、日本は貧しく発展途上で、支援する余裕はないということでしょう。

 民間でも義援金が募られましたが、渋沢栄一などの財界人や皇族、華族が中心でした。貧しい一般国民の意識を代弁するものとして、慎重論があったのでしょう。

「義援金は文明国の務め」 駐仏公使が意見

 ――支援はどうなったのですか。

 義援金を送りました。ただ…

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