世界一短い学名のコウモリ、名付けのルーツ「永遠の謎」

矢田文
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 東京・上野の国立科学博物館で特別展「大哺乳類展3―わけてつなげて大行進」が開催中だ。展示テーマの一つ「分類」と切り離せないのが、生き物の命名(名前をつけること)だ。本展では、名前にちなみ、世界一の称号を持つコウモリの標本が展示されている。

 本展の目玉である、約200点の迫力ある動物の剝製(はくせい)が勢ぞろいする「哺乳類大行進」。すぐ近くの一角に、その標本は展示されている。

 翼手目ヒナコウモリ科の仲間で、和名は「イブニングコウモリ」という。中国やインド、東南アジアにかけて分布する。熱帯の湿った天然林の環境に生息しており、日中は洞窟で過ごしている。

 国内の研究機関の標本目録によると、日本にあるイブニングコウモリの剝製は、おそらくこの1体だけ。大哺乳類展では、今回が初めての展示となる。

 剝製を提供したのは、東京大学の講師で、コウモリ類の生態を研究する福井大さん。約10年前、ウイルスの調査に同行して、さまざまな種類のコウモリを捕まえていたとき、ミャンマーの洞窟でたった1匹だけ捕獲できたという。

 当時、網にかかったその姿を見て思わず声に出した。

 「いあいお、だ!」

世界共通の名前「学名」とは?

 呪文のような言葉の意味は、イブニングコウモリの展示のキャプションを見るとわかる。

 イタリック体で「Ia io(イア・イオ)」と書いてある。これは「学名」と呼ばれるもので、和名とは異なり、世界共通に使われる生き物の名前だ。

 学名は基本的にはラテン語で表記されるルールになっていて、「属名」と「種小名」の二つの要素で構成される。私たち人間でいうと、属名が姓、種小名が名といった具合だ。

 命名のルール上、属名と種小名はそれぞれ2文字以上でなければならない。つまり、イブニングコウモリの学名「Ia io」は世界の動物の中で最も短い学名ということになる。

 福井さんは「見た目も特徴的で、短い学名は研究者の中でも有名なので、捕獲した個体を見てすぐにわかった。(標本の情報を記録する)ラベルを書くのがこれまでで一番楽でした」。

 ちなみに学名は世界一短いが、ヒナコウモリ科の仲間の中では最大の種。昆虫だけでなく、時期によっては小さな鳥までも捕食するそうだ。

世界で一番短い学名、そのわけは・・・

 どうして、こんな短い名前をつけたのだろうか。

 多くの学名は、その種の見た目や行動の特徴などに由来してつけられている。このほかにも特定の人物に敬意を表して、名前を織り込むことなどもある。ただ、「Ia io」はそのどれにも当てはまらない。

 「Ia io」が命名されたのは1902年のことだ。大英自然史博物館のオールドフィールド・トーマス氏が新種発表とともに名前をつけた。ただ、当時の論文に名前の由来は残されていない。

 トーマス氏はその生涯で2千以上の哺乳類に名前をつけた歴史的な動物学者だ。本展を監修した国立科学博物館研究員の川田伸一郎さん(哺乳類分類学)は「Ia ioを記載したときには、もう1千の生き物に名前をつけていたはず。だんだん名前をつけるのが大変になっちゃったんですかねぇ」。

 ioはギリシャ神話のゼウスの愛人の名前だ。海外の古い文献によれば、トーマス氏はIaを「万歳や感嘆符」のように使ったという記録もある。

 「万歳! イオ」と叫んでいるとか、飛び回るコウモリの姿を若い女性になぞらえているのではないかという説がある。短い理由は、同僚に可能な限りで短い学名をつけるよう挑発されたからという説もある。

 2022年に、アメリカの研究者が「Ia ioの学名は、生物学者の永遠の謎の一つだ」として、考察をまとめた論文を発表した。

 論文では、ioにも感嘆の意があったと注目。トーマス氏は3年間で3種のコウモリにioという言葉を用いて命名している。その頃、トーマス氏は出世に成功していた時期で「人生絶頂期の喜びを表現していたのではないか」としている。

名前から垣間見える、生物学者たちの物語

 動物の名前をたどっていくと、生物学者の当時の姿や命名をめぐる物語が垣間見えてくる。

 鹿児島県奄美大島などに生息し、国の特別天然記念物であるアマミノクロウサギは、学名を「Pentalagus furnessi(ペンタラグス・ファーネシー)」という。

 「ペンタ」はギリシャ語で数字の5を表し、「五つの歯をもつウサギ」という意味がある。これは、アマミノクロウサギを新種として報告するときに、観察した個体の上顎臼歯(じょうがくきゅうし)が左右5本ずつだったことにちなむという。

 ただ、実際にはアマミノクロウサギの上顎臼歯は6本だ。

 川田さんによると、アマミノクロウサギの中には、ごくまれに上顎臼歯が5本しかない変異個体が見つかるそうだ。「新種を記載する基準に選ばれたのがたまたま変異個体だったんですね。当時はそれが変異だともまだわかっていなかった」と話す。

 学名は一度つけると、そう簡単には変えることができない。当時の誤った認識や誤植がそのまま使われているのも珍しくないそうだ。

 本展では、展示するさまざまな生き物について和名とともに学名も紹介している。普段呼んでいる和名から一歩飛び出して、気になる学名を見つけてみるのも面白いかもしれない。(矢田文)

◇6月16日[日]まで、東京・上野の国立科学博物館。午前9時~午後5時。毎週土曜日と4月28日[日]~5月6日[月][休]は午後7時まで。入場はいずれも閉館30分前まで。月曜日および5月7日[火]は休館(ただし4月29日[月][祝]、5月6日[月][休]、6月10日[月]は開館)

◇一般・大学生2100円、小・中・高校生600円、未就学児は無料

◇公式サイト https://mammals3.exhibit.jp別ウインドウで開きます

◇問い合わせ ハローダイヤル050・5541・8600

主催 国立科学博物館、朝日新聞社、TBS、TBSグロウディア

協賛 鹿島建設光村印刷

後援 東京都恩賜上野動物園

巡回 7月3日[水]~8月25日[日]、福岡市博物館 ※内容を一部再編成します。

※本展の図録(2500円)は、通販サービス「朝日新聞モール」(https://shop.asahi.com別ウインドウで開きます)でも販売中です

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