【アーカイブ】日曜に想う スポーツと芸術、「答え」のない幸福

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この記事は2022年8月14日付け朝日新聞朝刊で掲載されたものです。

下記、当時の記事です

日曜に想う スポーツと芸術、「答え」のない幸福 編集委員・吉田純子

 踊りの技術は、人間性と一緒に磨かれ続けることで、それ自体が類いまれな表現となりうる。今月、東京バレエ団の最高位プリンシパル上野水香さんの踊る「ボレロ」を見て、そう気付かされた。振り付けは巨匠モーリス・ベジャール。円卓の上にひとりで立ち、群舞を従え、時に扇動者のように、時にいけにえのように、命を燃焼させるがごとく舞う。

 上野さんは44歳。バレエダンサーとしては決して若くない。しかし、その技術はまぎれもなくさらなる洗練の途上にある。人生を懸けて求める表現が己に何を要求しているか、そこに心を研ぎ澄ませているからだろう。表情豊かな跳躍のひとつひとつが、芸術の本質を物語る。

 引退ではなく、新たな挑戦です。フィギュアスケート羽生結弦さんが先月、記者会見でこう語った時の表情に、上野さんの覚悟の深さが重なった。羽生さんの言葉は、勝ち負けを競うというフィールドを卒業し、スポーツと芸術の未知なる接点を探る新たな人生に一歩を踏み出すという宣言として、私には響いた。

 数値によって比較される厳しい競技の世界を生きてきた羽生さんのような選手が、技術を表現として突き詰めるという信念を語るのを、少なくとも私はこれまで聞いたことがなかった。勝ち負けの刹那(せつな)へと自らを追い込むことも、まだ誰も見ていない究極の景色を見るためのプロセスのひとつだったのかもしれない。

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 肉体は衰えるもの。私たちはついそう思い込んでいるけれど、年輪を重ねるとともに研ぎ澄まされてゆく技術というものも、実はあるのではないだろうか。

 伝説のバレエダンサーと呼ばれたシルヴィ・ギエムさんに2009年、インタビューで尋ねてみた。ダンサーとして生きるとは、どういうことなのか。少し時間を置き、よどみなくこう答えた。「私自身が、自分に対する最も厳しい批評家であること。常に自分で人生を選択し、変わっていく自分に責任を持つこと」

 ギエムさんはまさしく孤高のパイオニアだった。体操からバレエに転向し、史上最年少の19歳でパリ・オペラ座の最高位エトワールに。誰の支えも必要とせず、地面と垂直に掲げられ、きりりと天を指すつま先は、バレエの型や既存のジェンダー観など、あらゆる「制度」を軽やかに蹴り壊す革命の象徴となった。

 ギエムさんは「楽な方に流されたくない」と、キャリアの絶頂だった23歳でバレエ団を辞めた。一方で、59歳の今も舞台に立つ、「バレエ界の至宝」と称されるアレッサンドラ・フェリさんのようなダンサーもいる。昨年の来日時にインタビューで「なぜ踊り続けるのか」と尋ねたら、この人もまた、毅然(きぜん)と答えた。

 「どのダンサーにも、自分の体がこれまでと同じではないと思い知る瞬間がくる。怖くても、今の自分をさらけだす勇気を持つことが新たな出発点となる。私は私の人生を、踊りを通して語りたい。赤ん坊、少女、母親、老人、人生のすべての段階にかけがえのない固有の美しさがあることを、私の体で証明したい」

 記者としてずっと、年を重ねた芸術家たちのみずみずしい言葉に触れてきたからこそ「今が一番うまいんじゃないか」「ここからがスタート」といった羽生さんの言葉が意地でも何でもなく、心からの実感から出てくるものなのだと私には素直に信じることができる。見たことのない景色を見る喜びを重ねれば重ねるほど、向上心を持つことをやめられなくなるのは、ごく自然な心のはたらきだ。

     *

 こうした人々の眼前に広がっているのであろう景色は、決して誰でも見られるというものではない。しかし、彼らがつくりだす何かを通じ、私たちは人間という「想像する種」として、生きることの幸福を感じとることができるはずだ。

 競い合いから解放された先の未来に待っている、スポーツと芸術が真に豊かに連なる領域の存在を、羽生さんがいつか証明してくれることを願う。信ずべき唯一の「答え」への忠誠を求める一部の宗教とは対極的に、答えのない芸術は真実を求めて迷い、模索する過程にこそ人生の意味があると示してくれるからだ。

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