新宿高校① 校長室突入の朝、坂本龍一は 「沸騰」の街で送った青春

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佐藤太郎

 1969年11月5日朝、東京都立新宿高校の校長室に、十数人の生徒が押しかけた。3年生はヘルメット姿、1、2年生は覆面で顔を覆っていた。

 先頭に立つのは、この年の春まで生徒会長で、のちに厚労相などを務めた塩崎恭久(73、1970年卒)。一番上の姉が戸山高校へ進学。「比較されるのが嫌で新宿高校を選んだ」。1年間の米国留学から前年秋に帰国し、「個性を無視し、受験一辺倒になっている日本の教育を変えたい」と考えるようになった。

 同学年となった1年下の後輩に、のちに世界的音楽家となる坂本龍一(故人、70年卒)と、著書「アクション・カメラ術」が大ヒットした馬場憲治(72、70年卒)がいた。坂本の自伝「音楽は自由にする」によると、塩崎、馬場とは「3バカトリオを組んでいた」と回想するほど仲がよかった。

 塩崎は米国からジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリンらのLPレコードを持ち帰り、坂本に聞かせた。塩崎は「坂本の音楽人生に刺激を与えたのは間違いない」と自負する。

【連載】高校思い出クリック~青春群像記~

高校をシリーズで紹介する企画。東京都立新宿高校の1回目です。新宿騒乱や東大安田講堂事件など、街が騒然としていた時代。校長室に「突入」するはずだった坂本龍一は…

「沸騰」していた新宿の真ん中で

 馬場は坂本から「ヘーゲルを…

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    武田緑
    (学校DE&Iコンサルタント)
    2024年4月9日8時0分 投稿
    【視点】

    連載1回目、非常におもしろく読みました。昔は自由・・・というか、良くも悪くもムチャクチャですね。この頃の空気を若者として吸ってみたかったなぁと少し思います。 この頃と比べると、社会も学校もかなり閉塞感が強まり、半世紀で人々はかなりお行儀良く

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