料亭から見るまちの盛衰 ビルの谷間に残る風情
【岩手】盛岡には芸者文化の2大拠点があった。
盛岡八幡宮に近い八幡町の「幡街(ばんがい)」と、本町通の「本街(ほんがい)」。商家の旦那衆らがひいきにした幡街に対し、本街は官公庁の接待でにぎわった。
「駒龍」は、本町通に残る唯一の料亭だ。
会長の岩舘政明さん(74)が語る。
「初代である祖母が本街の芸者で、結構な売れっ子でした。事業欲もありましてね、お客さんに勧められて、1956年に芸名であった『駒龍』を創業しました。当時は毎晩にぎやかなお座敷であったと、幼心に記憶しております」
店内に、50年以上前のものとみられる電話連絡帳が貼られている。
大清水多賀、丸竹、扇屋……。今はない料亭や料理店が約30軒。そして20人以上の芸者衆の名前が並ぶ。
「この付近には料亭が5軒ありました。芸者衆も私が知る範囲で10人ぐらい住んでましたね」
駒龍のすぐそばにある「不来方通」と呼ばれた細い道路沿いには芸者衆が住み、昼間でも三味線の稽古の音色が聞こえていた。
そんな街が大きく姿を変えるのは、95年ごろから。
「官官接待の問題が起きて、官公庁が料亭を使わなくなったんです」
地元の料理と酒、そこに芸者衆を呼んで接待する長年の慣習が全国各地で続いていたが、時代がそれを許さなくなっていた。
「以前からホテルでの宴会が増えて料亭の利用が減っていたところで、売り上げが激減し、料亭が一気になくなりました。稼ぎ場がなくなった芸者衆も廃業していきました」
本街では、5軒あった料亭のうち4軒が姿を消した。売り上げ減のほか、後継者難も大きな理由だったという。
それらの跡地は今、駐車場やコンビニエンスストアになった。
岩舘さんは「寂しい限りです」と話すが、決して他人事ではないという。
数年前、東京の商社に勤務していた長男と妻が盛岡へ戻ってきてくれた。息子夫婦が、社長と女将(おかみ)として、店を切り盛りしている。
今、主に平日は会社の接待や会合で使われる。
土日や祝日は冠婚葬祭の客が多い。コロナを境に、ホテルでの盛大な結婚披露宴をせず、料亭で両家だけの顔合わせや披露宴をするという人が増えた。
また、店に客を迎えるだけでなく、一般家庭に向けた仕出し料理の出前や、ネット通販もしている。
時代の変化に対応しながら、生き残りを図っている。
街の姿は変わり、本町通で唯一残っている駒龍も、マンションと駐車場に囲まれた一角にある。
「昔の街並みを残すというのは、もう時すでに遅しです。ただ、ビルの谷間にぽつりとでもいいから、昔ながらの古いたたずまいと盛岡のおもてなしの心で、店を守っていきたいと思います」
白壁の門構え、掃き清められた石畳。街に残る料亭の風情が、かつての街のおもかげを今に伝えている。(杉村和将)