被災者らのミュージカル、新劇団を旗揚げ 震災の記憶や教訓伝える

原篤司
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 宮城県東松島市などで昨年上演されたミュージカル「心の復興 13回忌ミュージカル 100通りのありがとう」の出演者らが、新しい劇団「100通りのありがとう」を立ち上げた。東日本大震災の記憶や教訓、支援への感謝を今後も伝えていくためだ。

 ミュージカルは昨年3月に同市、6月に石巻市で上演された。出演者の多くが被災者で、家族を失った悲しみなどを表現しながら展開する作品で、好評だった。

 2月に設立された新劇団に参加するのは、出演した約100人のうち、3~82歳の約50人。地域のイベントなどへの出演を活動の中心に据える。2025年開催予定の大阪万博での公演を申し込んだほか、新作の上演も思い描いている。

 同月中旬に東松島市内であった設立総会で、団長に選ばれた菅原節郎さん(73)は「震災を忘れないため、さらに新たな一歩を踏み出したい」と決意を語った。「座付き作家」として脚本や音楽、表現指導などを担う作曲家の寺本建雄さん(77)は「うまい人もへたな人も、全員が役に立ち尊重される劇団を目指す」とあいさつした。

 視覚障害を抱えつつ、昨年舞台に立った石巻市の加藤紗笑さん(25)は「昨年の公演が終わり寂しかったけど、また集まってみんなで舞台ができることになった。引き続き頑張りたい」と話した。(原篤司)

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 新劇団を支援する寺本建雄さんは、作曲家や演出家として数多くのミュージカルを手掛けてきた。作った曲は800曲以上。脚本や曲づくりに使う東京都荒川区のアトリエを訪れた。

 最寄り駅から歩くと20分ほどかかるマンションの1階。寺本さんが自作したのれんをくぐると、不思議な空間が広がっていた。

 天井近くまで棚がそびえ、おもちゃや人形、光る物や鳴る物、古い家電やギターなどが雑多に置かれている。寺本さんは「もらったり買ったりした限りは、飾って舞台を作ってやらないとな」。アトリエはさながら、小物のステージだ。

 以前は東京都小平市の自宅近くにアトリエを構えていたという。だが、楽器音などで迷惑がられ、居づらくなった。長年支援してくれている荒川区の不動産業小林清三郎さん(79)が5年ほど前に用意してくれた。閉店した居酒屋の跡で、家賃は「自分は払ってないからいくらかわからない」そうだ。

 寺本さんは「俺はインチキだけど、みんなインチキが大好きだから応援してくれるんだ」。衣装もギターも無料で作って提供してくれる人がいるといい、活動が成り立っている。

 寺本さんは「元々、お金は貧乏人から少なく取り、金持ちから多く取るべきもの。百貨店などの『定価』こそ不幸の始まりだ」と、笑いながら主張する。

 東京にいれば、元日以外は毎日必ずアトリエで過ごす。自宅から電車やバスで片道1時間半以上かかるが、午前8時には着き、帰宅は午後10時過ぎ。妻の祖父江真奈さん(73)は「休め、寝ろと言っても聞かない。生半可ではできない仕事です」。

 アトリエの隣は、大盛りで有名な行列ができる中華料理店。食欲をそそる香りと鍋をたたく音が、四六時中流れてくる。

 「隣の店主は大盛りを喜んでくれるお客さんのために、ずっと厨房(ちゅうぼう)で闘っている。俺も見習わないとなあ」。自らをインチキという寺本さんが真面目な一面も見せた。

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