津波ですべてを失った蛤浜で 「もうここには住めない」からの再生

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原篤司
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 宮城県石巻市の牡鹿半島の付け根にある蛤浜(はまぐりはま)。海に面するのはわずか100メートルほどの小さな集落だ。

 朝7時、港から亀山貴一さん(42)の船が出た。

 美しい海。日の光によって、青だったり緑だったりと、色合いは変わる。しぶきの白い軌跡を残しながら、沖の方に向かった。

 狙うのはナマコやワタリガニ、シャコなど。かご漁では夏はアナゴ、秋はマダコがとれる。亀山さんは季節ごとの魚種に合わせて漁をする「小(こ)漁師」だ。

 漁は生まれ育ったこの浜で、今は亡き祖父に教わった。亀山さんは「やっと、憧れのじいちゃんのライフスタイルを手に入れた」と、うれしそうに笑った。

 でも、忘れられない過去が、この浜にはある。

 亀山さんは宮崎の大学に行き、2004年に戻ってきた。実家はすでに石巻市の中心部に引っ越していたが、宮城県水産高校の教諭になったころから蛤浜の生家に住むようになった。

 25歳で結婚した。石垣の上に曽祖父が建てた築約100年の家で新婚生活を送り、もうすぐ待望の子どもが生まれる予定だった。

 そんな幸せな暮らしを東日本大震災が襲った。

 11年3月11日。学校にいて激しい揺れを感じた。生徒や避難してきた近所の人たちと校内で一晩を過ごし、翌日、水につかりながら歩いて蛤浜に着いた。震災前に9世帯が住んでいた集落は壊滅状態で、がれきで埋め尽くされていた。

 「高台だから大丈夫」と思っていた自宅は残っていたが、妻(当時29)の姿がない。近所の人に話を聞くと、地震の約1時間前、海に近い石巻市渡波地区の実家に向かったとわかった。

妻と語り合った夢を1枚の絵に

 妻と会えたのは約3週間後…

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