由緒ある建物、次々消えて…残すにはいかに 「まちはどこへ」(中)
杉村和将
近年、由緒ある建物が盛岡市の街から次々と姿を消している。
石川啄木が通った盛岡高等小学校(現・市立下橋中学校)や、新渡戸稲造の生誕地のほど近く。
盛岡市下ノ橋町にある地域づくりのコンサルタント「邑(ゆう)計画事務所」は、明治時代につくられた平屋の民家を社屋にしている。
社長の吉田基(もとい)さん(51)は「ここにマンションが建つ計画があり、もともと借りていたこの建物と土地を買って、今もこの建物が残っています」と振り返る。
2013年には、吉田さんの会社の近くにあった老舗料亭「大清水多賀」が解体された。140年の歴史があり、風情ある建物と庭園は市民に愛されたが、跡地にはマンションが建った。
その吉田さんが今、残せなかったのかと悔やんでいる建物がある。
紺屋町にあった「菊の司酒造」の酒蔵だ。
江戸時代から続く老舗だが、経営が悪化し、21年3月、創業家から別会社に事業譲渡されて新会社となった。その後、新会社は雫石町に工場を建設し、22年11月に移転。紺屋町の酒蔵は解体された。
跡地は今、14階建て高層マンションの建設予定地となっている。
語り合える場 あれば
同酒造は22年の移転前の朝…