第4回「責任感だけでは続かない」 被爆者の体験継承にネット募金も
長崎市で育った川端亜希さん(51)は、小学生のころの平和学習が怖かった。通っていた旧・新興善小学校は原爆投下後に臨時の救護所として使われ、長崎市内最大の被爆者収容所だった。
長崎の学校では「平和学習」の時間があり、川端さんの学校も、力を入れていた。学校を訪れた被爆者の「溶けた肌」をみて、衝撃を受けた。卒業前、トイレの前にあった「開かずの間」を学年で掃除することになった。扉を開けると、そこにはぽつんと手術台が残されていた。被爆者の治療に使われたのかもしれない。こわくてたまらず、トラウマのように心に刻まれた。
おばあちゃん子だったが、祖母から被爆体験を聞いたことはない。同級生にも2世や3世が多かったが、8、9割は親族の被爆体験を聞いていなかったという。「平和活動」についても抵抗感があった。「生半可な気持ちでできるものではない」と身構えるような気持ちもあった。
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