自民党は何を保守するのか 60年前の警鐘、30年前からの宿題
アナザーノート 藤田直央編集委員
藤田直央です。自民党は先日、今年の党大会を開きました。1955年の「保守合同」による結党時には、「正しい伝統と秩序は保持しつつ常に時代の要求に即応して前進」する、と保守主義の立場を表明しました。いま裏金問題で揺れるこの党は、一体何を保守しようとしてきたのでしょう。
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そこを探ろうと考えたきっかけは、河野洋平・元衆院議長(87)への先月のインタビューでした。約30年前に「政治とカネ」をめぐる不祥事が相次ぎ、野党に転落した自民党で総裁となり、非自民連立政権の細川護熙首相と「政治改革」について合意した重鎮です。
河野氏はさらに約30年前へさかのぼり、「このままでは自民党はだめになるというショッキングな論文」のことを語りました。月刊誌「中央公論」の63年1月号に載った「保守政党のビジョン」。筆者は岸信介内閣や池田勇人内閣で労働相を務めた、石田博英衆院議員です。
石田論文を私も読みました。概要はこうです。
○戦後の政党の離合集散でできた多様な集団による「保守合同」から自民党はなる。それが総裁選を通じて派閥として表面化した。
○「保守合同」は戦後の労働運動の台頭にあわててなされ、思想的に国家主義から資本主義、社会民主主義まで幅広い人々を含む。
○自民党が支持基盤を第1次産業(農林水産業)に頼るままだと、経済成長で第2次産業(製造業)と第3次産業(その他)の被雇用者が増えるので、労働組合に支持される野党第1党の社会党に60年代のうちに政権を奪われる。
○自民党は保守政党として、被雇用者の利益を保障するよう政策転換が急務。権力争いで国政を左右する派閥の弊害はなくすべきだ。
英国で第2次大戦に勝利しながら45年の総選挙で労働党に政権を奪われた保守党の取り組みも紹介され、示唆に富みます。
この論文は、河野氏が67年に衆院議員になった頃もなお、自民党の将来像をめぐる党内論議の的であり、石田氏や、後に派閥の領袖(りょうしゅう)となる宮沢喜一氏、安倍晋太郎氏らの話に聴き入ったそうです。
60年代と言えば、高度経済成長の下で自民党政権が軌道に乗った時期です。その頃にあえて、何を保守するかがあいまいなままだという警鐘が党内から鳴らされ、党内で議論されていたことに、当時の自民党の懐の深さを感じます。
ではこの石田論文から、自民党が今日まで何を保守してきたかがどう見えてくるのか。自民党のベテラン衆院議員、村上誠一郎・元行革担当相(71)と考えました。初当選は河野氏から約20年後の86年。自民党が2012年に民主党から政権を奪還し「一強」となってからは、その「劣化」に苦言を呈し続けています。
まず、60年代に自民党が社…