戦争に抗い踏みとどまる“アウトサイダー”の価値を 寄稿・小川公代

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英文学者・小川公代=寄稿

3月8日「国際女性デー」に寄せて

 戦争について考えるとき、いったいどれほどの女性為政者の顔が思い浮かぶだろう。

 戦争という暴力で国家や民族の“正義”を掲げる為政者たちの多くは男性である。たとえば、ドイツのオラフ・ショルツ首相は、昨年10月12日、イスラエルによるガザ侵攻について「我々はイスラエルの側に立つ。イスラエルの安全を守ることはドイツの国是だ」と述べた。たしかに昨年10月7日にハマスによってイスラエルに襲撃がなされた。

 しかし、ガザ保健当局によれば、イスラエル軍による容赦ない攻撃は女性や子どもを中心に3万人を超えるパレスチナ人の命を奪い、今も犠牲者の数は増えている。

 ショルツ首相はウクライナ戦争についても、昨年4月に行われた西側諸国指導者らのビデオ会議後に「ロシアが勝ってはならないとの見解で完全に一致している」と発言している。そして、この呼びかけが停戦の実現を困難にした。

 このビデオ会議にはジョー・バイデン米大統領や岸田文雄首相も参加している。その岸田首相は、ウクライナ戦争が続くなかで「防衛力を抜本的に強化」する意思を固め、国会での議論もほとんどないまま、トマホークを400発購入することを表明し、防衛費の増額を決めている。

 日本にはとくに顕著だが、そもそも政治の舞台に女性の数が少ない。政治とは“権力”闘争の場であると考える人間にとっては、女性には政治の資質がないように思えるかもしれないが、政治とはもっと根源的な“価値”の闘争なのではないだろうか。

ヴァージニア・ウルフが生きていれば

 もしイギリスのモダニズム作家、ヴァージニア・ウルフが生きていれば、このような、戦争を肯定する愛国的な感情、すなわち他国に対する自国の、あるいは特定の国や地域の人が優れているという「知的優秀性へのある根深い感情」に警鐘を鳴らしただろう。それこそが、戦争のトリガーであるからだ。

 ウルフは、権力の埒外(らちがい)におかれた女性、子ども、社会的弱者たちがいかに戦争の犠牲になりながらも、その暴力に抗(あらが)い続けてきたかを『三ギニー』という長編エッセーでつづっている。彼女自身、多くの若い命を奪った第1次世界大戦と、その後、わずか20年たらずのうちに第2次世界大戦に突入した激動の時代を経験し、「ぼくはわが祖国を守るために戦っている」(『三ギニー 戦争と女性』出淵敬子訳、みすず書房、161ページ)というような矮小(わいしょう)化された“正義”に真っ向から反対していた。

 ウルフいわく、「女性としては、全世界が私の祖国」だからである(163ページ)。あらゆる権利を奪われてきた「社会の外側にいる私たち」(アウトサイダー)には、「社会の内側にいるあなた」(インサイダー)が行使できる「富と政治的な影響」などはない(170ページ)。

 もちろん自国の強さや優位性を誇示する“インサイダー”たちの価値観に抗うのは女性ばかりではない。帝国主義の暴力を知るケニアのマーティン・キマニ国連大使は、ロシア軍によるウクライナ侵攻を批判。彼は、国連安全保障理事会での演説で、自国が大英帝国に支配されていた歴史を振り返りつつ、「ケニアは、そのような(抵抗したいという)望みを力によって追求することを拒否する」と訴えた。まさに“アウトサイダー”の考え方に依拠している。しかし、政治の権威主義的な枠組みから外されてきた経験を持つことから、多くの女性たちが“アウトサイダー”的な価値観を備えるのも事実である。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、野上弥生子『迷路』、こうの史代原作『この世界の片隅で』など、文学やアートを交えつつ、 “アウトサイダー”の価値について論じます。

“アウトサイダー”的な政治リーダー

 女性が参政権さえ与えられて…

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