避難所の運営は誰がする? 能登の例に学ぶ

能登半島地震

浅田朋範 浅野真
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 能登半島地震の発生から2カ月が過ぎたが、被災地では、いまも多くの住民が避難所での生活を続けている。避難所の運営を担うのは、被災者自身だ。近所づきあいが希薄な都市部で災害が起きたとき、うまく運営できるだろうか。

 最大震度7の強い揺れに見舞われた1月1日、石川県珠洲市の指定避難所である市立正院(しょういん)小学校には485人が次々と避難してきた。学校周辺には車中泊をしている人もいた。

 同小では、地震で体育館が損傷し、被災者は校舎に避難した。500人近い避難者は教室に入りきれず、発生当初は廊下で夜を明かす人の姿もあった。床に座布団や段ボールを敷き、毛布にくるまる。暖をとるため、だるまストーブや石油を自宅などから持ち寄った。備蓄のアルファ米や水は避難者全員分はなく、自宅から食料を持ち寄って分け合った。

 「使えるものは何でも使った。生きるために必死だった」。避難所運営の実質的なリーダーの小町康夫さん(69)は当時の状況をそう振り返る。小町さんは正院公民館長を務め、地震発生時には、この避難所で災害対策本部の副本部長に就くことが地区の自主防災組織内で決まっていた。本部長は区長会長が務める。

 避難所の運営は、同小に避難してきた保健師や理学療法士消防団員、市の職員ら20人ほどが中心となって始まった。

 最初に取り組んだのは避難者名簿の作成だった。氏名、住所、年齢を確認し、485人の避難者名簿をつくった。記入用紙は公民館に備蓄してあった。

 夜には運営スタッフによるミーティングが開かれた。避難者の健康状態や炊き出しの内容などが話し合われた。4日ごろからは物資班、衛生班、炊き出し班など数人ずつの班をつくり、運営が円滑に進むように工夫した。

 5日に福井県からの支援職員や、災害支援ナースが到着。12日には長野県奈良県から防災士が支援に駆けつけた。こうした支援者もミーティングに参加し、課題を共有した。

 心がけたのは、できるだけ避難者が運営に協力する態勢をとることだ。主に運営スタッフが担っていたトイレ掃除を1月中旬からは避難者全員の交代制とし、スタッフの負担を軽減した。

 避難者の数は徐々に少なくなっているが、正院小学校には2月29日時点で41世帯74人が身を寄せている。避難者自身が主体となり、1人が頑張るのではなく、誰かが休んでもカバーできる態勢が組まれている。

 日頃から地域でのつながりがあるこの地域では、避難者同士が「顔見知り」の関係だという。小町さんは「炊き出しの手伝いや避難している教室の移動もお願いしやすい」と語る。(浅田朋範)

     ◇

 避難所を運営するのは被災者自身だ。内閣府の避難所運営ガイドラインは「避難所生活は住民が主体となって行う」と定め、埼玉県地域防災計画にも「避難所運営にあたっては、避難者による運営組織を設置する」と書かれている。

 自治体がサポートしないわけではない。埼玉県南部の市の危機管理担当者は「市内の避難所ごとに、近隣に住む2、3人の職員を『担当』として決めている」という。

 だが、発生時に「絶対に指定された避難所に駆けつけられるとは言えない」とも打ち明ける。避難所生活が長期に及んだ場合、職員が運営にかかわり続けるのは、現実的ではない。

 開設や運営の主体となるのは、あくまで町内会などでつくる自主防災組織だ。東京都内や埼玉県南部など人口の多い地域では、町内会や自治会に加入していない家庭が少なくない。地域コミュニティーは希薄になりがちだ。

 県南部の市の危機管理担当者は「知らない人どうしが集まる避難所内で、場所取りや運営をめぐるトラブルが起きないか心配だ」と話している。(浅野真)

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能登半島地震

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