ビキニ事件の衝撃、原爆症の恐怖 映画になった友へ、70年後の思い

有料記事核といのちを考える

黒田陸離
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 米国が太平洋のビキニ環礁で水爆実験をし、マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)してから3月1日で70年。放射線被曝による健康被害を改めて知らしめたこの事件をきっかけに、原爆症で亡くなった広島出身の友人を映画に収め、世界に訴えた高校生たちがいた。

 「核兵器について初めて近くに感じたのは、あの事件でした」。製作した映画の台本を手に、古手英三さん(86)=東京都武蔵野市=は記憶をたどる。

 1954年3月1日、第五福竜丸の乗組員は水爆実験による「死の灰」を浴びた。その後、無線長の久保山愛吉さんらは、東京都新宿区の国立東京第一病院(現・国立国際医療研究センター)に運ばれた。病院は古手さんが通っていた成城高校のそば。報道の車が次々と学校の前を通り過ぎ、半年後には久保山さんが40歳で亡くなった。

 「原爆症は恐ろしいものなんだ」

病床に向けたカメラ

 ちょうどその頃、成城高校でも3年生の男子生徒が病に倒れた。いまの小学校にあたる国民学校に通っていたときに、広島で被爆した千葉亮(まこと)さん。9年後に骨髄性白血病を発症し、「原爆症」と診断された。

 輸血が必要だったが、当時は…

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