【そもそも解説】第五福竜丸が被曝 70年前のビキニ水爆実験とは

有料記事そもそも解説

花房吾早子
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 1954年3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行いました。島に暮らす人びとのほか、海域にいた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」も被曝(ひばく)しました。何が起き、どんな影響を残したのでしょうか。

 Q 70年前、マーシャル諸島ビキニ環礁で何があった?

 A 1954年3月1日、米国が広島原爆の約1千倍とされる水爆「ブラボー」の実験を行った。粉々になったサンゴがキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びて周辺に広がった。「死の灰」は、東160キロ地点にいた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」にも降り注いだ。

 Q 乗組員はどうなった?

 A 乗組員23人は2週間後に焼津港に戻り、検査で被曝しているとわかった。東京に移され、医師団が治療したが、無線長の久保山愛吉さんは9月に40歳で亡くなった。

 Q 政府の対応は?

 A 日米両政府は55年1月、米国が見舞金として約200万ドルを支払うことで決着をはかった。同じ洋上では福竜丸以外の船も操業していたが、補償などはなかった。

 Q なぜ米国はマーシャル諸島で核実験をしたのか?

 A 戦後、米国が占領し、国連信託統治領として管理していた。46~58年、ビキニ環礁とエニウェトク環礁で計67回実施した。実験の破壊力になぞらえ、肌の露出が多い水着がビキニと呼ばれるようになったとされる。

 Q 住民の被害は?

 A 米国は核実験の前、周辺…

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