「子ども扱い」のマンスプレイニング 差別はLGBTQ、障害者にも

有料記事ダイバーシティ・共生

哲学者・三木那由他=寄稿
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Re:Ron連載「ことばをほどく」(第6回)

 前回に引き続き、今回もマンスプレイニングの話をしたい。前回語ったのは、マンスプレイニングは単なる性格や振る舞いの問題ではなくジェンダーの問題であること、そしてそれはただ「偉そうに上から目線で語る」というだけではなく、知識の伝達・蓄積の現場から女性を排除したり、事実の報告や意見の主張の力を奪うことで女性の主体性を損なったりするメカニズムを持っていることを、マンスプレイニングについての哲学者たちの議論を踏まえて指摘した。

 今回は、少し別の角度からマンスプレイニングについて考えてみたい。マンスプレイニングは個々人の性格や振る舞いの問題ではなくジェンダーの問題なのだというのはいいとしよう。でも、それはジェンダー「だけ」の問題なのだろうか?

 例えば、自分の気持ちについては自分がいちばんよくわかっているはずだが、性的マイノリティーの人々の場合、あろうことかその自分の気持ちについて他人から「説明」や「説教」をされることがある。女性が友人にある男性への恋心を語っているなら、きっと友人はそれを素直に受け止め、悩みを聞いたり応援をしたりするだろう。でも、恋の相手が女性だったら? 「あなたはまだ本当の恋に出会っていないだけだ」と言い、本当の恋がいかなるものなのかを語り始めたり、「あなたはまだ若くて恋と友情の区別がうまくついていないのだ」と混乱を指摘したりといった反応は、残念ながら「性的マイノリティーあるある」のひとつだ。

 考えてみたら、この反応は不思議ではないだろうか?

ジェンダーだけでない「○○スプレイニング」

 私が抱いている気持ちが恋か…

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    畑山敦子
    (朝日新聞Re:Ron副編集長・記者)
    2024年2月28日15時10分 投稿
    【視点】

    ジェンダーだけでない「○○スプレイニング」を通じてみえるのは、マイノリティーの立場にある人の言葉を聞けているか、その人が話せていないことはないか、深く考えなければいけないということだと思います。  三木さんは、マンスプレイニングがかたちを

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