桐島容疑者の逃走半世紀、なぜ見つからなかったか 「公安部の負け」
入院先の病院で今年1月、1970年代に起きた連続企業爆破事件で指名手配中の桐島聡容疑者(70)を名乗り、その後死亡した男について、警視庁公安部は桐島容疑者本人と特定した。逃走生活は半世紀に及んだ。
桐島容疑者が指名手配されたのは75年5月だった。その直後、広島県の実家に本人とみられる人物から岡山県で潜伏していることをうかがわせる電話がかかってきた。これが、明らかになっていた最後の足取りだった。
49年後の「告白」により、逃走生活の実態が徐々に明らかになった。
住み込みで仕事 バーで酒を
桐島容疑者は川崎市内で日雇いの仕事などをした後、80年代ごろから神奈川県藤沢市の土木会社に住み込みで働いた。一人暮らしで「内田洋」を名乗り、身分証は持っていなかった。
「うっちゃんは仕事仲間と冗談をかわし、仲良くしていた」。土木会社の取引先の60代男性によると、桐島容疑者はやさしい口調だった。別の土木会社の男性は、「手先が器用で丁寧な仕事をする人だった」と振り返った。車や重機の運転はしなかったという。
白髪交じりの無精ひげ。近場の銭湯に通い、時折バーで酒を飲んだ。
20年近く前から来ていたというバーでは、酒を2、3杯飲み、2千円ほど払って帰った。ジーンズ姿が多く、60~70年代のロックが好き。生バンドの演奏があるとリズムにのって奏者を盛り上げ、DJイベントがあれば腕をあげて踊った。年下の女性から好意を寄せられ、「幸せにできない」と断ったという話をしていたこともあった。「うっちー」と呼ばれた。
なぜ半世紀も逃げ続けられたのか。
「もう見つからないかと」 組織から孤立無援か
過激派を追う公安関係者の1…
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