ソ連解体とロシアの影響力 「飛躍」がウクライナ戦争につながった
1991年のソ連解体は、今の世界にどんな影響をもたらしているのか。解体プロセスを研究してきた塩川伸明さんは、「『ソ連の枠組み内での体制転換』の挫折」だったと考えます。ソ連解体からウクライナ戦争、昨年のナゴルノ・カラバフ併合に至るまでに起きた変化とは、何だったのでしょうか。
しおかわ・のぶあき 1948年生まれ。東京大学名誉教授。専門はロシア・旧ソ連政治史。著書に「国家の解体 ペレストロイカとソ連の最期」など、編著に「ロシア・ウクライナ戦争」など。
――旧ソ連圏で戦争や紛争が起きています。ソ連解体のプロセスに遠因があったのでしょうか。
「1991年にかけてのソ連解体を考えるときに踏まえておくべきなのは、社会主義体制の行き詰まりと、ソ連が多くの独立国家に分かれたことは、別の話だということです。実際、ほとんどの東欧諸国は社会主義を捨てても、国家が解体してはいません」
「ソ連の場合、ペレストロイカ(ゴルバチョフ政権下での改革)は、最初のうちは体制内改良を目指していましたが、次第に市場経済移行などの体制転換を目指すようになりました。そうした体制転換をソ連という国家の枠組みの中で進めることが試みられたのですが、その試みの挫折がソ連解体だったということです」
――解体時には、各地で分離紛争が起きました。
「ソ連にはロシア、ウクライナなどの15の連邦構成共和国があり、さらに自治共和国や自治州がありました。ソ連解体で独立国家になった連邦構成共和国は、それまでも外観上は『主権国家』という建前をとっていたので、新しい国家の形成が相対的に容易でした。平穏なかたちでの分離が可能だったわけです」
「ウクライナでは解体直後に…