第14回通夜のようなバス、監督は謝った ビンタやめても変われなかった根底
高校野球、アップデートしていますか? 脱暴力編
引退がかかる極限の場面で、のびのびと力を発揮したチームがあった。昨夏の全国高校野球選手権東東京大会を制し、春夏通じて初めて甲子園に出場した共栄学園だ。準決勝は九回に2点差を逆転サヨナラ勝ち。東亜学園との決勝は、1点を追う九回2死から、ノーサインでのセーフティーバントや「一か八か」の重盗で逆転に成功した。
ただ、明るく積極的なチームカラーは以前からではない。2012年から監督を務める原田健輔監督(37)には、暴力的な指導をしてしまった過去があった。あの時なぜ、手を止められなかったのか、なぜ悔い改められたのか。
――原田さんは26歳の若さで共栄学園の監督に就任。15年1月、部員に暴力を振るったとして、日本学生野球協会から2カ月の謹慎処分を受けました。
「きっかけは、ささいな出来事です。部員の学校外での自転車のマナーについて、近隣の高齢者から『野球部に危ない思いをさせられた』とクレームを受けたんですね。練習場に部員を集めて『どういうことだ』と説教しました。正直、誰がやったのかはわかりません。ただ、だめなことを分からせるために、やんちゃだった3、4人の胸ぐらをつかんだり、ほおを平手打ちしたりしました」
――暴力はその一度だけでしたか。
「いえ、その時が特別というわけではありません。部員の態度に腹を立てて手を出すことは度々ありましたし、言葉の暴力もありました。当時所属していた部員たちには、本当に申し訳ないです」
――なぜ手が出てしまったのですか。
「原因は、私の勉強不足や無知です。自分の指導力のせいで問題が起きているのに、うまく言葉で伝えて解決できない。どうすればいいかわからなくて、暴力に訴えることしかできなかった。よく『愛のムチ』だなんて言いますけど、単に暴力の正当化ですよね」
――どうして発覚したのですか。
「部員が学校に投書したんです。『過去に暴力を振るわれた。こんな監督のもとではやっていけない』という趣旨の内容で。そこから日本学生野球協会にも報告が上がり、処分に至りました」
――部員にそんなことを突きつけられ、ショックだったのではないですか。
「そのときの感情としては、『そんなに厳しい練習が嫌か』という一方的な怒り。謹慎期間中もスノーボードに行ったり遊びに行ったりして、何事もなかったように復帰しました」
――謹慎処分を受けて反省はしなかったのですか。
「もちろん手は出さなくなりました。ただ、根本では変わっていないから、厳しい姿勢での指導は続きました。『自分が育てられたやり方をやっているんだからいいじゃないか』との思いもありました」
――ご自身も暴力を受けたご経験があるのですか。
「あります。中学は埼玉県内の硬式野球チームでプレーし、コーチに日常的に殴られました。僕は投手だったのですが、試合で一塁ゴロが転がったとき、一塁のベースカバーを忘れたことがあった。ベンチに戻ったらコーチに『お前が入るべきだろ』と怒られ、立て続けに平手打ちを食らいました。審判が制止するまで止まりませんでした」
――どう感じましたか。
「もちろん嫌でしたけど、基本的には自分が悪いと思っていました。周りの同級生もやられていたし、暴力に対して違和感を覚えたことすらなかった。全国大会にも出られたし、『強いチームで本気で野球しているんだから当然』ぐらいに思っていたんですかね」
――今、そのコーチのことは恨んでいますか。
「うーん。そう言われれば…
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- 【視点】
何と濃厚なインタビューでしょうか。指導上の暴力で、実際に処分を受けた監督の言葉は重いです。なぜ、手を振り上げてしまったのか。根本にあるものは何だったのか。そして、どう変われたのか。 スポーツにおける暴力的指導の根絶にはかねて、そうした「
…続きを読む