後生に「美濃北方駅」の記憶つなぐ 名鉄揖斐線の跡地に駅名板設置

岐阜新聞提供
[PR]

岐阜新聞提供

 2005年に廃線となった名鉄揖斐線の美濃北方駅(岐阜県北方町加茂)について広く知ってもらおうと、町文化財保護協会の鉄道愛好家の有志が駅の跡地に紹介看板や実際に使われていた駅名板などを設置した。跡地の一部の土地が町に無償譲渡されたことから、町民らに寄付を募り、実現させた。「北方の発展を語る上で揖斐線はなくてはならない存在だったことを知ってほしい」と話す。

 揖斐線は忠節駅(岐阜市)から本揖斐駅(揖斐川町)を結び、昭和の時代には通勤、通学する沿線住民の生活の足として活躍した。1914年に忠節―北方間で開業した岐北軽便鉄道が発祥。その後、美濃電気軌道との合併を経て30年に名鉄と合併した。岐北軽便鉄道の時代に終着駅だった美濃北方駅には駅舎の隣に本社が置かれた。北方町内には他に2駅があったが、美濃北方駅が最も利用が多く、駅を中心に町が発展したという。

 看板を設置したのは同協会の廣瀬志朗会長、理事の大野昭彦さん、安藤浩孝さん。廃線後に空き地になっていた美濃北方駅周辺の跡地を名鉄の関連会社が区画整理すると知り、痕跡がなくなる前に後世に伝える記念碑をつくろうと関係者に相談をした。

 「私の人生は名鉄と共にあった」と安藤さん。叔父、父親共に名鉄の社員で安藤さんが誕生した際は、祖父が北方千歳町駅で「男児一児無事出生す」と書いた手紙を車掌だった叔父に託し、揖斐郡大野町変電所に勤めていた父親に届けられたという。そのため、ひときわ揖斐線への思いは強い。2021年には、その生い立ちのエピソードと共に「記念碑と案内板の設置のスペースについてご配慮を」としたためた手紙まで本巣市出身の高崎裕樹社長宛てに出したほどだ。

 昨年1月に区画整理が終わり、一部の土地が同社から町へ無償譲渡されることが決まったことから、町内のイベントで募金活動をして寄付金を集めた。名鉄の許可を得て、跡地に残された線路などの保守管理用に設置してある数字の書かれた木製の「距離標」や線路に敷かれた砕石を集め、記念碑と案内看板、メンバーが所有していた美濃北方駅の駅名板を設置した。

 案内板は60センチ四方の金属の看板で岐北軽便鉄道の頃からの歴史と共に、同社の本社屋や美濃北方駅の駅舎、名鉄揖斐線時代に撮られた「モ750形」の車両の写真も載せている。廣瀬会長は「かつてここにあったものがわずかでも残せてうれしい」と喜ぶ。大野さんも「名鉄が北方町を通っていたと聞いて驚く人が増えている。駅の歴史を残したい」と話している。

 名鉄は「美濃北方駅跡地には旧軌道敷を横断するための地下道が残っていたため、道路管理者である北方町と協議し地下道の撤去や道路を付け替える工事を行った際、道路用地として北方町に譲渡した」と譲渡の経緯についてコメントしている。(岐阜新聞提供)

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【本日23:59まで!】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら