第1回バッグ4個に詰めた69年の人生 戦争避け「隣町」へ2500キロ旅

有料記事占領地を逃れて ウクライナ侵攻2年

ウクライナ北東部スーミ=藤原学思
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 11人乗りのバンが、以前はショッピングセンターだった建物に着く。降りてきた7人は、ウクライナ国旗が2枚掲げられた玄関に入る。3歳の白い犬「ミシャ」が、シッポを振って出迎えた。

 「ああ、やっと眠れる。すごく疲れた」

 オレクサンドル・セレデンコさん(69)が言った。電球の切れた小部屋で、4個のバッグをくくりつけた台車から、手を離す。右脚を引きずっている。「治るのに、しばらくかかるかな」

 1月29日、ウクライナ北東部スーミの一時避難施設。日は暮れていた。セレデンコさんが南部ヘルソン州クリンキの自宅を離れてから、8日が経っていた。

ロシアの全面侵攻から2年を前に、ロシア軍占領地の住民たちが連日ウクライナ側へと逃れています。ロシアからウクライナへ国境越えができる唯一の「回廊」。そこにたどり着いた人たちが、苦難の道のりを語りました。

 なぜ、地元をあとにしたのか。この2年間で、何を目にしたのか。1500キロ以上の長旅が一息つき、セレデンコさんが語り始めた。

「絶望的な状況」

 人口1千人ほどの村、クリンキがロシア軍に占領されたのは、2022年2月24日に全面侵攻が始まってまもない頃だった。ロシア軍の兵士たちは民家に勝手に押し入り、食べ物や貴重品を強奪した。

 22年夏、ウクライナ軍が反撃を開始。11月にはドニプロ川西岸にあるへルソン市を奪還した。セレデンコさんもヘルソン市で生まれ、造船工場の仕事を引退するまで住んでいた。東岸にあるクリンキも、きっと――。そんな期待は、ロシア軍がドニプロ川の大橋を破壊したことでしぼんでいった。

 セレデンコさんが避難を考え始めたのは、23年6月6日のことだ。この日、上流のカホウカ・ダムが決壊し、菜園の中にある自宅家屋が水浸しになった。

 23年10月、ウクライナ軍の歩兵部隊がドニプロ川東岸沿いに陣地を築き始めた。洪水がやっと引いたと思ったら、今度は菜園がロシア軍の砲撃にさらされた。今年に入ってからは上空にドローン無人機)が飛び交い、クラスター弾も使われているようだった。「絶望的な状況だった」

 これ以上の戦闘の激化は、命を奪われかねない。「一日中、家の中で窓を閉め切り、まるでモグラのようにただ座っているのも、もう耐えられない」

 自分や妻エレナさん(67)の親族が今も住む対岸の故郷ヘルソン市へ向かおう。直線距離なら35キロしか離れていない「隣町」。以前なら、車で数十分の距離だ。ただ、いまは川を渡ることができない。

残された方法とは…

 それでも、唯一の方法があった。

 占領地からいったんロシア領…

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