羽柴秀吉は承認欲求強め?功績自慢の「一斉メール」うかがえる新史料

熊谷姿慧
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 羽柴秀吉は承認欲求が強かった? そんな人柄を想像させる新史料が見つかったと、兵庫県立歴史博物館(姫路市)と東京大学史料編纂(へんさん)所が8日発表した。新史料の多くは信長の側近たちが秀吉に送った書状で、その内容と数から、秀吉が自身の功績を猛烈にアピールしていたことがうかがえるという。

 同博物館によると、今回見つかったのは計35通の文書の写し。原本は1582年の本能寺の変までの数年間に書かれたとみられる。

 そのうち約半数は、秀吉からの戦果の報告に返信する形で、信長の側近たちが秀吉側に送った書状。

 書状は「お手紙ありがとうございます」「ご無沙汰してしまっており」などと始まる。信長の命令で別所長治を兵糧攻めした三木合戦などでの秀吉の功績に触れ、「さすがのお手柄と存じます」「天下で大変な評判です」などと褒める内容だった。

 「別所には羽根でもできて飛び立つよりほかに脱出するすべはないと、みな感じ入っております」という一文もあった。

 写しをまとめた冊子を東大史料編纂所の村井祐樹准教授(日本中世史)がネットオークションで見つけ、分析した。

 村井准教授によると、返信の内容から、秀吉が親しい間柄でもない信長の側近20人以上に突然、自身の戦功を「一斉メール」のように送りつけたことが分かるという。信長の側近たちは、自身の功績をアピールする秀吉に忖度(そんたく)してか、「よいしょ」している形だ。

 村井准教授は「信長が秀吉にまめな状況報告を求めていたとしても、取り次ぐ人が決まっているので、その人一人だけに送れば済む話。アピールの方法が独特で、自分の功績を信長だけでなく周りにも知ってもらおうとしたと考えられる」と話す。

 新史料は4月6日から7月7日まで、兵庫県立歴史博物館で展示予定。3月末に刊行予定の村井准教授の著書「中世史料との邂逅(かいこう)」(思文閣出版)でも公開される。(熊谷姿慧)

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