芦原妃名子さん「砂時計」10巻 うずく傷口(小原篤のアニマゲ丼)

 職業柄、アニメやマンガや映画の関係者が亡くなると、その作品を見返すことがあります。1月末、マンガ家の芦原妃名子さんが亡くなったとの報にショックを受け「どうして?」と思いつつ、代表作「砂時計」(2003~06年連載)を本棚から取り出しました。結果的に、記事は私でなく同僚が担当することになりましたが、「いま読まなくては」との思いから10巻まで通読しました。

 買ってから17年余、再読はしていませんでした。言葉に尽くせぬほど素晴らしい作品ですが、つらさと怖さもまた封じ込められ、特に10巻収録の番外エピソードによって読後もずっとうずくような傷を心に残す作品なので。それゆえこれは一度きりで永遠の「砂時計」体験。――のはずでしたが、こんな形で、杏(あん)と大悟に“再会”することになろうとは。

 両親の離婚を機に東京から母の実家の島根に越してきた12歳の杏は、同い年の大悟ら友だちも出来て田舎暮らしになじんでいくが、ある雪の日、母が遺書めいたものを残し山で亡くなる。大悟は「オレがずっと一緒におっちゃるけん」と言って杏を抱きしめるが、「母に捨てられた」「自分は母の生きる希望になれなかった」という心の傷によって杏はその後も苦しみ、支えようとしてくれる大悟をも傷つけることになる……。

 主調はシリアス。「ど」が三つ付くくらいシリアス。でもラブコメっぽい笑いへの転調も鮮やかで互いに邪魔をせず、ぐいぐい物語に引き込まれます。各巻は2エピソードからなり、ある年齢(12歳から何と30歳まで!)のある季節の出来事に焦点を当て、たっぷり枚数を使ってドラマの大きなうねりをつくり出します。それに浸っていると、ページを開いていてもページを閉じていても、心の中で「砂時計」の世界が甘く切ない響きを発し続け、半ば酩酊(めいてい)、めまい、催眠のような状態に。再読でもそれは変わりませんでした。

 加えて、言葉の強さ、重さ…

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