「日雇い後、住み込みに」「仲間と連絡取らず」 桐島名乗る男が説明

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比嘉展玖 宮脇稜平
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 1974、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、警視庁公安部の聴取に対し、「事件後、日雇い労働を経て、土木会社で住み込みで働いていた」と話していたことがわかった。過激派グループのメンバーとは事件後、全く連絡は取らなかったとも説明したという。

 男が入院中に桐島と名乗ってから1週間。男は1月29日に死亡し、公安部は男の身元の特定を進めると共に、49年の逃走生活も調べる。

 捜査関係者によると、男は1月上旬、神奈川県鎌倉市の病院に「内田洋(ひろし)」の名前で入院。同25日に病院側に「最期は『桐島聡』で死にたい」などと話したという。

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