転職時代に産業僧が説く「自業自得」の心得 変化への葛藤と向き合う

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僧侶・松本紹圭=寄稿

Re:Ron連載「松本紹圭の抜苦与楽」 第5回

 終身雇用が一般的だった時代、会社は生涯の居場所でもありました。

 夜はなじみの取引先と酒を飲み、休みの日にはゴルフへ行って、毎年家族連れの社員旅行がありました。同僚の冠婚葬祭で身を寄せ合って、役職も収入も年に応じて上がっていく。それが「安心」でもあった時代、会社は生きていく社会の大半を占め、自らを形成するアイデンティティーでもありました。

 今や仕事の価値観は大きく変わり、ひとくちに「働く」といっても、形態もあり方も様々です。私が産業僧としてご縁をいただく方は、経営者や企業にお勤めの方がほとんどですが、それでもなお、働く一人ひとりも、働く環境も刻一刻と変わっています。思いがけない退職に驚かされることも度々あります。お寺の世界はどうかといえば、宗派内の異動はあっても、僧侶を辞めるとか、宗派を変えるとか、所属するお寺が変わるといったことはめったに聞きません。そして、企業では珍しくない買収、合併といった変革や組織の改編もお寺ではほとんどありません。

 身を置く場所によって、文化が違えば「一般的」も異なります。

 そこで起こる変化が、更なる動きや振る舞いを生成しているということだろうと思います。終身雇用が当たり前の環境では、転職は大変まれなことで目立ちます。それは等しく、集団の中にあってはリスクを背負うことでもありました。けれど、転職をする人が周囲に2人、3人と現れ始めると、連れられるようにして変化の動きが生じます。おのずと新たな文化が醸成されながら、次第にそれは日常のこととなっていく。

 突然人々の思いが変わったというよりも、おそらく終身雇用時代においても「動きたい」「変わりたい」意識はどこかにあって、潜在的に変化を求めるニーズはあったのでしょう。変化に向かう意識が、環境に応じて顕在化し始めるのは自然なことです。種はみずから芽を出すはたらきを携えながら、条件が整ったタイミングで芽吹きます。ものごとの多くは、既に無意識にあるものが、縁により、環境により、個人の意図を超えて運ばれていくものです。

 そうした意味で、お寺の世界においても、これからどのような変化が起こるかわかりません。大切なのは、どのように変化をしても、「今ここ」にあって、その道を生きているということです。

 変化が多ければ、その分、バックグラウンドの異なる人同士の関わりは自然と増えます。一つの会社の中でも、社歴、年齢、役職、スキル、価値観と異なる要素が絡み合う。様々な経歴をもった人がまじり合えば、たどってきた経路によって見てきた世界は異なりますから、「一つにまとまろう」とするほどに摩擦が生まれることは、想像に難くありません。そこに生まれる「もやもや」には、例えば、こんな傾向があるようです。

「昔はよかった…」 振り返りと裏腹の悩み

 社歴の長い人は、「昔はこうだった」と振り返ります。入社した頃は経営者もおおらかで、競争もなくゆとりがあった。今は目標管理が細かくなって、締め付けも厳しい。社内の人間関係は殺伐として働くことがしんどい、というように。

 転職されてきた方は、「前職はこうだった」と振り返ります。前の職場は同僚や取引先との関わりがもっと気楽で、有休も取りやすかった。今の会社は残業して当たり前。会社都合の頻繁な異動や転勤に振り回されて、働くことがしんどい、というように。

 昔はよかったと振り返りなが…

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    中川文如
    (朝日新聞スポーツ部次長)
    2024年2月2日13時17分 投稿
    【視点】

    変わりたくないことと、変えたいことと。その狭間で悩みながら人は生きているのだなあと、松本紹圭さんの論考に改めて思います。 アラフィフの不肖・私、転校は一度だけあります。転職の経験はありません。何も変えなくても何も変わらなくても、きょう

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