高橋名人が語ったハドソン時代の逸話「連射でスイカ割り」誕生の背景
札幌で生まれたゲームソフト会社「ハドソン」。会社はもうないが、2023年は設立50年にあたる年だった。
主に北海道のゲームに関する資料の保存活動にあたっている「北海道ゲームアーカイブ協会」(山本耕平代表)はこのほど、ハドソン元社員でファミコン全盛期に「16連射」で一世を風靡(ふうび)した高橋名人や桜田名人らを招いたトークイベントを札幌市内で開いた。
高橋名人は「(創業者の)工藤裕司さんや工藤浩さんとはよく飲みに行っていて、昔話をたくさん聞いた。だけどお酒が入っているから、みなさん、『6割ぐらい』で聞いて下さい」と盛り上げつつ、数々の逸話を披露した。
一部の要旨は次の通り。
《C62形蒸気機関車が大好きだった工藤社長は、札幌市豊平区の郵便番号が「062」だったので豊平区平岸に会社を設立した》
高橋名人 これは本当。社長と飲んだ時に言っていた。
《ハドソン創業者の工藤兄弟は孫正義氏の恩人だった》
飛び入りした荒井優衆院議員(比例北海道ブロック) 私は32~40歳の8年間、ソフトバンクの社長室で孫社長と一緒に働いていた。ソフトバンクにはゴールデンウィークに「恩人感謝の日」がある。「7大恩人」の中に、工藤兄弟も入っている。
高橋名人 ソフトバンクの売り上げが芳しくない時期に、工藤社長が「もうかったら返してくれ」とゲームを何万本か融通して、それで立ち直ったことが「恩人」につながった理由の一つと聞いている。
《高橋名人は16連射でスイカを割った?》
高橋名人 1986年公開の映画「GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦」に連射でスイカを割るシーンがある。
当時、毛利名人は「都会派」、俺は「野生児」というキャラ設定。脚本を担当していた渡辺浩弐くんと飲みながら、「16連射で何か割る?」「割るといったらスイカ割り」と盛り上がり、こうなった。
撮影は5月ごろで、スイカは品薄。手分けして8個ぐらい集めた。1個目は失敗し、実際に使われたのは4個目か5個目のカット。下から圧搾空気をいれる仕掛けだった。
《「ゲームは1日1時間」の名言はどう生まれたか》
高橋名人 1985年7月2…
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