安土城、炎上後に壊された石垣跡か 織田政権の終わりを天下に示す?

林利香
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 織田信長が天下統一の拠点として築いた安土城跡(特別史跡滋賀県近江八幡市東近江市)で、焼失した天主(天守)の石垣が、意図的に壊されたとみられる痕跡が見つかった。県が12日、発表した。城として使えなくする「破城(はじょう)」の跡とみられ、専門家は「織田政権の終焉(しゅうえん)を、わかりやすく示そうとしたのでは」と話す。

 安土城は1579(天正7)年、琵琶湖畔の安土山(標高199メートル)に築かれた。地上6階、地下1階の天主は当時の技術や文化の集大成とされたが、3年後の「本能寺の変」後に焼失。城の構造や焼失後の史料もほとんど残っていない。

 県は昨年10月から、17年ぶりとなる発掘調査を実施。天主台東側の斜面など計315平方メートルを調べた。

 調査では、石垣の上部が崩れ、斜面に広く堆積(たいせき)しているのを確認。残った石垣の高さが、幅10メートルにわたってそろっていたことから、天主の炎上後に自然崩壊したのではなく、人為的に崩された可能性がある。炎上にともなう遺物はほとんど見つからず、時期は不明だが、火事場整理がされていた可能性が高いという。

 安土城は1585年に羽柴(豊臣)秀吉のおいの秀次が八幡山(はちまんやま)城を築いたのに伴い、廃城になったとされる。小和田哲男・静岡大学名誉教授(戦国時代史)は「はっきり目に見える部分が集中的に壊されている。豊臣政権が、織田政権の終わりを天下に知らしめようとする意図もあったのではないか。信長死後の安土城の歴史を知る上で、大きな意義がある」と話す。

 発掘調査の成果報告会は、2月23日にコラボしが21(大津市)、3月2日に国立オリンピック記念青少年総合センター東京都渋谷区)で開かれる。時間未定。問い合わせは滋賀県文化財保護課(077・528・4678)。

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